8.《ネタバレ》 行定監督といえば印象的なのが
沢尻エリカの「別に」問題でも話題になった「クローズド・ノート」や
本腰を入れて製作したものの映画ファンから総スカンをくらった「遠くの空に消えた」等で
「世界の中心で、愛をさけぶ」の商業的な成功以降、
迷走している感が否めない監督のような気がします。
しかし行定監督にしか描けない世界観というのも
存在するとも考えています。
それが本作を含むモラトリアム3部作で、
恐らく行定監督作家性を語る上で最も重要な作品群でしょう。
鑑賞後、こんなにもかつてを思い起こさせてくれる映画を私は他に知りません。
社会に出る手前で怠惰な日常を過ごしている若者の
幸福感、絶望感、そしてその日々が刹那であるという事。
日本映画において良く用いられるキーワード
「何もない系」
その何もないという事を
行定監督はこんなにも魅力的に描いてみせるのです。
本作「きょうのできごと」では、
そんな若者達のモラトリアム、他愛もない日常を彩る要素として
二つの出来事が同時進行で繰り広げられます。
一つは「鯨が砂浜にうち上げられ座礁した」という出来事。
一つは「人がビルに挟まり抜け出せなくなった」という出来事です。
一見関係のないような出来事ですが、
実はこの二つの出来事は若者のモラトリアム期を描いたメタファーであると考えます。
例えば、本作の鯨の出来事。
社会をいうものを「海」だと例えた場合、
座礁した鯨は
社会から切り離されたモラトリアム期の若者そのもののように見えるからです。
座礁した鯨にある選択肢は、
海に戻るか
このまま死ぬか
終盤、本作の鯨が辿った運命は正に
大学卒業期の私達そのもののように思えました。
またそこに主人公達が鯨になんとなく会いに行く。
しかしそこに鯨はいない。
という展開を加える事で、彼らの過ごすモラトリアム期もまた、永遠でない事を示唆しています。