1.セット中心の撮影と長回しによって、あえて戯曲を忠実になぞる試みである。
それによって、メインとなる見合いシーンはほぼ実時間に近いのだろう。
時刻に関する会話や時計音の演出もあって、ぎこちなくも切実な一瞬一瞬の
「時間」が印象づけられる。
冒頭約10分間にわたる現代パートのロケシーンを配置して映画を回想形式にしたのも、
夕刻の光の推移と共に、約60年間という二人の戦後の時間を意識させるための
ものだろうか。
舞台を限定し、松岡俊介の手紙の件りなど伝聞スタイルを活用すること。
紙屋邸前の石段のセットや、襖奥での会話といったオフ空間をよく利用していること。
それら観客の想像力に訴える手法は効果的で『永遠の0』の山崎貴なども
見習ったらどうかと思うが、これは単に舞台劇演出の援用でもある。
ならば肝心な原田知世の慟哭シーンこそ、襖の奥の悲痛な哭き声だけを
聴かせなければならなかったのではないか。舞台では間違いなくそうしたはずだ。
このシーン、映画の多角的な視点が逆に仇になってしまっている。