1.《ネタバレ》 [2018/9/29改訂]「先生を流産させる会」(2011)の内藤瑛亮監督の映画である。今回もまた暴力的な堕胎場面を出して来ているが、ここは「先生を…」が物議を醸したことをネタにしたセルフ・パロディのようでもあり、やはり問題のある人物だと思う理由が増えた形になっている(流産監督と言われたがっているとしか思えない)。
ところで今回も、外見はともかく基本的には人命尊重について考えさせる映画になっている。
制作側の真意は不明だが、とりあえず倫理や法律を度外視して純粋な感情問題として考えてみると、全ての人間は他人にとって①生きていてもらいたい ②生きていて構わない ③生きていないことが望まれる、のどれかに分類されると思われる。ほとんどの人間はほとんどの他人にとって②だが、この映画で死んだのは基本的に③であるから、非道な映画のようでも観客の反発を回避するよう作られているといえる。
しかし多くの他人からみて③であっても親にとっては①の場合が多いはずで、劇中でもバカ息子の死に狂乱するバカ親が出ていたことからすれば、そういう手前勝手な親心を踏みつけにする意図があったようでもある。劇中では“教師/刑事である前に親”との主張もあったが、本当に正しいのは“親である前に人”であり、親たるものの心情がいかなる場合も肯定されるわけはない。劇中の殺人刑事が③並みの扱いで死んでいったのは妥当な結末といえる。
文明人の立場としては、生物種としての人類全ての生命を尊重すべきこととされており、現実にもそのような態度をとるのが普通である。しかし実は③のようなのが無様に死ぬのをこういう映画に期待するとか、あるいは現実にはないだろうが、主人公のような男が(これも③だが)やったのを見て内心ほくそ笑むというのが本音であり、そのような本音と、綺麗事の倫理や法律とのギャップを認識させる映画と受け取った。ただし綺麗事はともかく法律は絶対であるから殺人を実行してはなりません。
ちなみに、親が極悪人なら子も同罪とはいえないが、理事長の娘については親がケダモノで不幸だったと思うしかない。
ちなみにヒロイン役の女優は嫌いでないが、可愛く見えないのは別にいいとして、さすがにこれで女子高生役では見た目としてきついものがある。また馬場ふみか嬢は当時まだ出始めだったろうにいきなりこんな役でいいのかと思ったが、その後はまともな役もやっているようで結構なことである。