2.MCUのドラマシリーズを追えておらず、必然的にフェーズ4以降の映画作品も劇場へ二の足を踏むことが続いている。本作も、公開時に思案したものの、結局劇場鑑賞はスルーしてしまっていた。
フェーズ4から現在進行中のフェーズ5まで、映画作品はなんとか全作観てきているけれど、本作を鑑賞して、さすがにドラマシリーズの各作品をまったく観ていないことに限界を感じた。
特に冒頭の各シーンにおいては、ドラマの「ワンダヴィジョン」や「ミズ・マーベル」は最低限観ておかないと、正直“しんどいな”という印象は拭えない。
それも当然で、本作は「マーベルズ」というタイトルの通り、ブリー・ラーソンが演じるキャロル・ダンヴァースが主人公の「キャプテン・マーベル」の続編というよりは、モニカ・ランボー、“ミズ・マーベル”ことカマラ・カーンを含めた3人組の物語だったからだ。したがって、モニカ・ランボーやカマラ・カーンが登場する前述の各ドラマを観ていないと、とてもじゃないけれど“置いてけぼり”を食らってしまった。
MCUの娯楽映画として全く面白くなかったということはなく、随所に本作ならではのエンターテイメントは確実に存在していたし、ヒーロー映画としてアガる要素がある映画であったことは否定しない。ただやはり、ドラマシリーズとのクロスオーバー要素が大き過ぎることもあり、彼女たちの活躍に対して終始のめり込めない。
のめり込めない大きな要因はもう一つあって、“主人公たち”の中心であるキャロル・ダンヴァース(キャプテン・マーベル)にまつわる描くべきストーリーがおざなりになりすぎていたことだ。
“キャプテン・マーベル”自体が、フェーズ3の最終盤において突如描き出されたスーパーヒーローである。演じるブリー・ラーソンの想像以上のマッチングぶりと、「エンドゲーム」においてサノスすらも圧倒する無双ぶりによって、キャラクター的には短期間でその地位を確立した感があるけれど、前作「キャプテン・マーベル」では描ききれていない要素や真相が謎の部分も多々あった。
キャプテン・マーベルのキャラクターそのものに対しての深堀りや、彼女の出自の詳細がこの続編ではもう少しきちんと明確に描き出されるべきだったと思う。
そういったくだりがなく、いきなり“私たちはマーベルズよ”と言われても、ちょっと同調しづらかった。
実際本作のヴィランの“怨み”の発端は、キャプテン・マーベルによる過去の功罪によるものなのだから、その部分は本作内でもう少し丁寧に描くべきだったろう。
そして、さらに苦言を加えると、「エンドゲーム」におけるキャプテン・マーベルの無双感を経たあとでは、モブキャラ相手にドタバタと格闘を繰り広げるシーンも違和感を禁じ得なかった。本作のヴィランもそれほど圧倒的な強者というわけではないので、やはり鼻白んでしまったことは否めない。
ただその一方で、“ミズ・マーベル”ことカマラ・カーンのキャラクター性は抜群にユニークでキュートで娯楽性に溢れていたと思える。
キャプテン・マーベルのことを完全に“推し”目線で捉えて、「新人」ヒーローとして奮闘する姿は、終始観ていて楽しかった。そのさまは、「シビルウォー」で初登場した“スパイダーマン”を彷彿とさせた。
光を具現化して戦う彼女の能力とそのビジュアルも、良い意味でマンガ的で面白かった。何よりも演じるイアン・ヴェラーニによるザ・ハイティーンな風貌や言動が魅力的だったと。後追いになってしまうが、「ミズ・マーベル」はいの一番に観てみようと思う。
さて、“マルチバース”の裾野を四方八方に広げたフェーズ4を経て、フェーズ5ではいよいよあらゆる“次元”と“世界”が入り交じることは必至なようだ。(今年公開の「デッドプール&ウルヴァリン」によってその“タガ”は更に遠慮なく外れていくことだろう)
“インフィニティ・サーガ”までの統合性とそれに伴うクオリティの安定性はもはや期待できないかもしれないけれど、可能な範囲でドラマも後追いしつつ楽しんでいこう。(Disney+を契約しているうちに……)