4.《ネタバレ》 原作は牧歌的な島を舞台に、少年と少女とに芽生えた恋とその成就を抒情的に描いた作品。裸になって焚火の火を飛び越える行為は、文明という皮相の衣を脱ぎ棄て、人間の原初の姿に立ち還ること。原初の人間として純粋に愛しあうことが最も美しい。二人が漁師と海女という、自然を相手とした生業であったからこそ可能だった。その為、映画では、主人公新治と初江の、普段は隠れている未開の自然人としての本来の姿、美質を描くことが重要となる。新治は日焼けした筋骨隆々たる海の男で、島を五周できるほど泳ぎが巧みだ。映画では優男で、とても海の男には見えず,又、泳ぎの巧者という紹介がないため、最高潮場面での嵐の海に飛び込む行為がやや唐突に思える。初江は健康的で純朴、内気だが芯の強さを秘め、野の花を絵に描いたような海女見習いの少女。映画では、申し分のない演技を見せるが、遺憾ながら、少女の美しさの象徴であり、処女を証明する乳房の露出がないので、原作の意図が表現しきれていない。原作では、乳房は欠くべからざる美質として最重要扱いで、詳細に記述する。『それは決して男を知った乳房ではなく、まだやっと綻びかけたばかりで、それが一たん花をひらいたらどんなに美しかろうと思われる胸なのである。薔薇色の蕾をもちあげている小高い一双の丘のあいだには、よく日に灼けた、しかも肌の繊細さと清らかさと一脈の冷たさを失わない、早春の気を漂わせた谷間があった。四肢のととのった発育と歩を合わせて、乳房の育ちも決して遅れをとってはいなかった。が、まだいくばくの固みを帯びたそのふくらみは、今や覚めぎわの眠りにいて、ほんの羽毛の一触、ほんの微風の愛撫で、目をさましそうにも見えるのである』新治が灯台長の家に魚を届けるのは、中学の卒業が困難となった時に、灯台長が学校に陳情して卒業叶ったという恩義があるから。灯台長の娘千代子は、二人の噂を流したことを後悔して、東京から贖罪の手紙を送るが、その心境の変化の理由が明かされない。千代子は顔の劣等感を持っていたとき、新治に美しいと言われて好意を抱くようになったが、東京に戻って島の二人の噂を聞き、真に彼の幸福を願うようになったのである。映画としての出来は悪くないが、奥行きがない。欲望や醜さも描いてこそ、真の人間の美しさが見える。恋愛を魅せる青春映画としては合格だが、人間の真の姿を描く芸術映画としては物足りない。