3.《ネタバレ》 王様は、原子力エネルギーを平和利用し、理想的な社会を建設するという計画を持っていたが、反対に逢い、同時に革命が起り、米国に亡命する。王様はお金のことを第一に気にし、女っ気も抜けない俗人である。一方で妻には優しいし、演説好きの天才少年にも親切である。つまり平均的な人間、人間らしい人間である。それがアメリカ文明の洗礼を受け、受け入れられず去ってゆくという物語。
◆前半はギャグや笑える風刺満載で十分楽しめる。後半はマッカーシズム(赤狩り)に対する反論が強く出てつまらなくなる。「『ニューヨークの王様』は私の映画のなかではもっとも反抗的なものだ。私は、今話題になっている死に行く文明の一部になるのはごめんだ」という彼の言葉が残っている。ビクトリア朝生まれのチャップリンにとって、50年代後半のアメリカ文明は荒廃しきっているようにしか見えなかったのだろう。無理もないことだ。ロック、フィルム・ノアール、あくどいほどのコマーシャリズム、人権侵害。「死に行く文明」と見えなくもない。
◆「新しいモダン・タイムズ」を目指したということだが、文明批判としては弱い。自分の主張を子供に代弁させるのは大人気ないだろう。結局失われたのは天才少年の童心だけである。王様はお金を失ったが心に傷は負わなかった。王様にとって米国亡命は、珍しい経験ができて良い休暇になった程度のことに過ぎないだろう。コマーシャリズムの権化であるCMタレント、アン・ケイも良い人で終わる。決定的に毒(ブラックユーモア)が足りないのだ。王様が失うものが大きければ大きいほど、観客に訴えるものがあったに違いない。
◆マッカーシズムが収まってから発表された作品で、タイミングも悪かった。米国では上映出来ず、商業的には失敗だった。皮肉ではないが、この内容が受けるのは米国くらいだろう。
◆良いところもある。映画予告には笑いころげた。パロディ精神は衰えていない。突然CMをしゃべりだすのは秀逸。もっと見たかった。キャビアや亀のマイムは面白い。映画館でロックが演奏されるが、マイクスタンドがあるだけで歌手は見えないというのはシュールすぎたか?。笑いのアイデアは古びていない。自分が大衆受けしているのに気づかないところやペンキ塗りコントなど「サーカス」を彷彿させるものがある。喜ぶ仕草など、一部で原点返りしているのは嬉しい。