39.《ネタバレ》 シャーリーズ・セロンは『サイダーハウス・ルール』や『ディアボロス』の正統派美女イメージしかなかったため、まるで別人のようでビックリ。
すごい役作りで、ここまで醜く変身できることにプロの女優魂を感じる。
実話を基にした映画だが、その実在のシリアルキラーと面相がどことなく似ている気がした。
13の時から体を売っていた娼婦が、就活で相手にされず逆ギレするのが惨め。
子供の頃から愛に見放された人生で、同情すべき点がないわけでもない。
だからといって何人も殺していいわけがなく、被害者は下衆野郎だけでなく心やさしい妻子ある紳士も含まれていた。
その罪は本人も自覚があるのだろう、自分自身を許せず自分を愛することも大切にすることもできない。
だからこそセルビーが最後の希望だったわけだが、唯一愛してほしかった相手にも結局は裏切られてしまう。
救いのないラストは自業自得ともいえるが、最後までセルビーを責めなかった姿は哀れを誘う。
セルビーは罪を全部アイリーンに押し付けて、自分はまるで被害者であるような風なのが気に入らない。
アイリーンよりもこちらのほうが本当のモンスターに見える。
そう感じるように描かれているのは、シリアルキラーというモンスターを育てたのが周りの環境であり社会であるとのメッセージとも取れる。
ただ、環境が悪くともまっとうに生きている人はたくさんいるわけで、本人が選択を間違え続けたことは否定できなし、罪の正当化ができるわけでもない。
犯罪者は社会を憎み、社会のせいにして自らを正当化する傾向があるが、罪は罪だ。
責任転嫁を許さない前提があった上で、落ちこぼれや切り捨てをできるだけ生まない社会を考えることは、無駄ではないのだろう。