2.この映画、なぜダイアン・アーバスはフリーク写真にこだわったのか、という問いには触れていない。当然の前提となってるみたい。フリークらの不思議の国への探訪記として展開していて、そう割り切ってみれば、多毛症男と親しくなるまではけっこう面白かった。配水管がアリスの落ちるウサギ穴に見立てられているようで、アパートの迷宮感がワクワクさせる。でもフリーク世界への案内人として多毛症男が絡んでくると、三角関係ばなしみたいになり、ちょっと映画がしぼんだ。もっとも、亭主が精いっぱい顎ヒゲをはやかしても「俺は普通の男だ」と引け目を感じるあたりに、奇妙なおかしさはあるのだが。誰だって悪趣味なものへのひそやかな興味はある。でも、おおっぴらに悪趣味を誇示されると辟易させられるし、へんに芸術ぶって提示されてもどういう態度をとっていいか困惑する。映画において悪趣味ほど扱いが難しいものもない。