2.合理的に映画制作という名のビジネスをする主人公が衛星画像を利用した非公式の国家プロジェクトにまきこまれる。映像という媒体の手軽さと無限の可能性からなる危険性の提示、と同時に映像がそれを扱う人間によって脅威にも感動にもなりうる実に自由な存在であることを提示している。映像の魔力と魅力、、実にヴェンダースらしい題材だ。ここで描かれる暴力は映像が生み出したものではない。あくまで映像を利用して人間が生み出すのである。だから暴力の終焉もまた人間の手によってでしか為されない。そのとき映像が良識ある人の手によってなにがしかの役割を果たすかもしれない。ヴェンダースは映像に関わる者としての責務をこの映画で宣言しているように感じる。そして映画に出きることを常に考えているのだと思う。