1.《ネタバレ》 結ばれぬ二人、叶わぬ恋。そんな胸を痛める激しいラブストーリーが幕を閉じた後も、男と女それぞれのその人生は延々と続いていく。この映画が描くのはそんな、ラブストーリーのその後だ。あとがきのような人生を日々に埋もれるようにひっそりと生きる康一もたみも久子も、かつての輝かしい恋愛物語の忘れられたその主人公たちである。彼らは、まさに市川準映画の主人公にふさわしい。市川が描くのは常に、世界の片隅で忘れられたように日々を暮らすそんな人々の姿だからだ。様式ばった美しさで切り取られる東京下町の風景、作為的なまでに静謐な時の流れ、そうした市川準映画の悪癖とも言える人工臭や退屈さが拭い去れない本作だが、それでもその中に主人公たちの灯す情感をゆっくりと滲ませていくその描写の繊細さには、心惹かれずにはいられない。商店街の人々に噂され、時にヤクザのようだと揶揄される康一は、実際粗野で無口なうえ、陰気な男だ。けれど、思いをよせあったはずの青年の結婚に打ちひしがれ宴席で所在無く一人唇をかみしめる近所の娘に、そんな彼が真っ先に声をかける。こっちにおいで。その声の別人のようなやさしさ。現在進行形の悲しみを必死に堪える若い娘は、かつての康一であり、たみであり、久子なのだろう。うれしそうに顔をほころばせる娘。その様子を柔らかな表情で見守るたみ。ただそれだけのそのショットに、たみがなぜかつて彼を愛したのか、言葉少なな彼女の思いが静かに滲むのだ。映画は東京をはなれ岡山で新たな暮らしをはじめるたみの姿で終わる。でこぼこ道を走る衝撃で自転車のカゴから飛びだすジャガイモに、不恰好な声をあげるたみ。ラブストーリーのその後を終えた彼女が行くのは、ラブストーリーのその後のその後だ。そうしてその後のその後のその後まで、彼女の人生はまだまだ続いていく。ひたすらに生き続ける、ただそれだけのことのなんというすばらしさ。人々をそんなふうに見つめる市川の視線は、限りなくやさしい。現在は過去のあとがきなどでは決してない。今を慈しむこと、それこそが、生きるということに違いないのだから。