8.《ネタバレ》 今、最も世界各地でのタイムリーな話題、移民や難民問題を婉曲法で扱っており、テーマとしてはかなり重要と言えるのかもしれない。主人公は、他者との交わりを避け、殻に篭りがちで孤独に生きる大学教授のウォルターという男。彼は学会での出張で、久しぶりにニューヨークの元居た別宅のドアを開けると、そこには全く見知らない男女が住み着いていたという、どう考えてもホラーかサスペンス映画としての要素しか窺えない展開。本作の脚本及び監督であるトム・マッカーシーは、こんな面白い出だしなのに、サスペンスやホラー映画に仕立て上げるつもりはサラサラなく、所謂、不法移民を社会問題として、如何に考えるべきかを真面目にこの映画で提示・考察しているのだ。
自分の領域に否応なく関与してくる他者との関わりの中で、惰性的で不活発だった主人公の意識の活性化と、失っていた社会性の獲得が描かれる。移民・難民は様々な国から豊かさを求め、或いは自国の政治風土を嫌って、又は戦禍を逃れ出国して来る。この映画の主人公、ウォルターは家に居る異邦人のカップルに驚愕しながらも、彼らの事情を知ると、親切にも自宅に住むことを認めてしまう。青年の方はシリアからの不法入国者でタレクだと名乗る、女も同じく不法滞在、セネガル出身でイスラム教だと言う。シリア人の男とセネガル人の女が、米国では法的には存在していないも同然なのに、ニューヨークの他人の家に勝手に住み着き、家族形態の関係を築こうとしていた事になる。
客観的事実を簡潔に述べるとそうなってしまうが、不法入国滞在という事実は、ウォルター個人にとっては問題視すべき事とは見なしていないのだ。そんなタレクとはドラム演奏を教えてもらう関係の時間を通じて急速に親しくなる。もはや友人のようなタレクが、ある日、地下鉄の駅で鉄道警察に逮捕されてしまう。以後、ウォルターは自分の弁護士を差し向けるなど親身に面倒をみる。訪ねてきたタレクの母親も家に引き入れ親身に面倒をみるのだから、ウォルターは決して人間嫌いという訳ではなさそう。心配する母親の思いも受け、釈放に向け奔走するが、個人の想いなど歯牙にもかけず、法の壁が立ち塞がる。
ウォルターはタレクやその恋人、それに母親まで幅広く人間関係を築く事で活力と生きる意味を見出す。ウォルターの視点がこの映画の思想・思惟とするならば、イスラム教国の7カ国からの入国禁止令を発令するなど、忙しく大統領令を乱発中のトランプ氏とは思想信条が対極的。本作は移民問題は閉ざすより開放してこそ社会も活性化に繋がるという、リベラリストとしての隠れた主張があるのかも。駅ホームでの演奏を願ったタレクに代わり、ラストでウォルターがやるせない思いをドラムに叩きつける。どうやらタレクに教わった、魂を込める演奏法を会得したらしい。