2.《ネタバレ》 ストーリーはかなり甘いように思えるが、これはこれで嫌いではない。ゲッコーも変わるように、オリヴァー・ストーン監督も変わってしまったのだろう。諸手を挙げて歓迎したいようなチェンジとは思えないが、年齢を重ねれば、このチェンジも仕方はないか。このご時勢に、不毛なマネーゲームを強烈に繰り広げても観客は滅入るだけかもしれない。目先の利益を追うのではなくて、“家族の繋がり・家系の繋がり”や“次世代型環境テクノロジー”という将来を見据えたテーマを掲げている。
甘いと感じられる点は以下のようなものか。
ゲッコーとジェイコブとの関係、ゲッコーの心変わりとゲッコーと娘ウィニーの仲直り、ジェイコブとウィニーの仲直り、ブレトンに対する追い込み方など。前作は様々な要素が描かれており、それらをきちんと消化していたが、本作は様々なことを盛り込みすぎて、やや消化不良になったように思える。
ジェイコブは前作のバドとは異なり、野心家ではなく“良い人”キャラクターであり、深みには欠ける。金の魔力や重力に負けるような弱さのある男でもなく、ただのお人よしがゲッコーにいいように騙されただけ。得意技も『風説の流布』だけであり、あれが何度も通用してしまうのは芸がない。ただ、ゲッコーにもブレトンにも格が劣るようなイメージだが、彼のお人よしの良心がゲッコーを変えたとも捉えることはできる。もっともウィニーが好きになる人なので、野心溢れる普通の証券マンではおかしいだろう。前作のようなゲッコーとバドとの関係を同じように描いても、ストーン監督は意味はないと考えたのかもしれない。
前作では「金のためには母親までをも売り飛ばす」と罵られたゲッコーだったが、金のためにリアルに娘を裏切る辺りはゲッコーらしさがよく出ている。握手を求めても怪訝そうにされたり、娘からは「あなたの名前に昔のような価値はないわ」と言われる状況から、業界を仕切る口笛じじいに頼られるまで、見事なまでのカムバックを果たしている。ただ、カムバックを果たしてもどこか満たされない想い、崩壊してしまった家族や失ってしまった息子を、娘夫婦や孫というカタチで再建できるという想いが彼を変えたのだろう。何度も失望させられた父親や、自分に嘘を付いたジェイコブをあっけなく許すウィニーの心情は理解しにくいが、娘から母親になるというチェンジが彼女を変えたと解釈できなくもない。