1.《ネタバレ》 伊藤潤二原作のホラーマンガシリーズ「富江」の映画化第8作で、現在までのところこれが最後の富江映画である。
写真部の月子という少女が主人公で、主に原作の「写真」「接吻」のあたりを下敷きにしたようだが原作通りでは全くない。グロ描写や残酷場面を遠慮しないというのが副題の意味だろうが、廊下を追いかけられる場面などはドタバタホラーの風情だった(これは気色悪い)。あまり真面目に見るものではないという気にもなるが、今までにない賑やかさと映像的な見せ場(安っぽいが)の豊富な富江映画とはいえる。
ただし終盤になると、主人公の秘めた感情をもとにして思い切りシリアスな物語ができている。意味不明ではあるが自分として思ったのは、劇中では明らかに富江(姉)=怖い、主人公(妹)=可愛い、という対比ができており、これはどう見ても妹の方が人に好かれるはずだということである(主観だが)。主人公が姉に引け目を感じていたというのは家庭内事情なので何ともいえないが、少なくとも外部評価として姉>>>>>妹ということはありえない(主観だが)。
主人公は自分が他人に必要とされていないと思い込み、本当は周囲の皆が少しずつ自分の存在を支えてくれていることにも気づかないまま、そこに付け込んだ姉に誤ったイメージを植え付けられて自滅したということではないか。妹が父の実子でないというのも実は嘘で、本当は姉の方がもらい子だったとも考えられる。最後は例えば虐待する夫から離れられない妻のような図式になっており、こうならないためには自己の確立が大事だという警告の物語と取れる。
ところで今回の富江は、「シリーズ史上最も原作のキャラクターに近いと評される」という宣伝文をあえて否定するつもりもないが、何しろ顔が怖すぎて、見た男が全員惚れるという本来の設定はどこに行ったのかという感じだった。これに比べれば、終盤で街中に蔓延していた富江はさわやか感が際立っており、仲村みうという人本人も(もともと少し怖いイメージだが)さすがに本来はこっちに近いのだろうという気がした。
また主人公(妹)は、外見的な印象としては前記の主観のとおりで、この人だけはあくまで清純派でいてもらいたかったが最後は少し残念だ。ほかAKB48メンバーの扱いがひどすぎたのは笑うしかないが、しかし本人は何とも思っていなかったようで、こういうところは現代アイドルの割り切りのよさかも知れない。