2.《ネタバレ》 土屋太鳳と芳根京子が「顔が入れ替わる」役を演じて、それはそれぞれの演技、特徴を十分に理解して初めて成立するものだから、求められるものはかなり高度で複雑。
そしてその要求に見事に応えてみせる二人は本当に凄いわ。
その時、どちらがどちらの人格なのか、それが見ている人に瞬時に判るのだから。
その上、合成で継ぎ目のない入れ替わりまで見せてくれたりして、「本物」と「偽物」の世界が曖昧になってゆく恐ろしさがじわじわ伝わってきて。
「口紅を塗ってキスをすると顔が入れ替わる」っていう設定自体は荒唐無稽だけど、舞台女優という姿を通して、現実と嘘、表と裏、本物と偽物が対比されて、もの凄い層を重ねた「演技」を見せられてこちらは翻弄されることになるのね。
だからこれ、実際に女優が演じることによってマンガよりも更に映画というメディアでは構造が深くなると言えるわけで、とても映画向きな素材って言えるかも。
ただ、手放しで「素晴らしい!」って言いきれなかったりもして。
いちばん気になったのは心の声の多用。土屋、芳根、浅野忠信がそれぞれ心の声を聞かせるの。多過ぎね。
心の声を使わなくても「映画のやり方」で十分に表現できるはずだし、それだけの演技はできていたハズなのよね。それ、まるで映画の力と役者の力を信じてないみたい。
マンガは心の声を使いまくって当たり前なメディアだけど、映画でもそうすることになんの疑問を持たなくなってきてるとしたら、それはマンガの映画化天国状態な日本映画の弊害なのかもね。日本の映画はみーんなマンガ的表現に支配されました、みたいな?
演技がテーマですらある映画で、演技を信じきれてないという皮肉な状態に思えてしまうのは残念。
あんなに土屋太鳳と芳根京子が演技で魅せてくれているだけにね。