3.決して完成度の高い映画ではない。稚拙な演出も目につくし、無駄に長いし、全体的にチープだ。
だが、立ち去ろうとする足首を掴んで離れないような独特の禍々しさがへばりつくように残る。
故に「傑作」と言い切ることも、「駄作」と断ずることも、僕にはその勇気がない。
これはそういうちょっと変わった映画体験を半ば強制的に観客に与える類いの映画だと思う。
まず相変わらずイロイロと騒がしい人ではあるが、沢尻エリカという女優は、やはりちょっと「特別」だと思う。敢えてチープな言い方をするならば、「ガッツ」があるのだと思う。
それは何も映画の冒頭から惜しげもなく乳房を露にしているというような分かりやすいことではない。
自業自得な部分もあろうが、マスコミによってあのようなスキャンダルな立ち位置に半ば強制的に追いやられているにも関わらず、まさにその「現実」とピッタリと重なるような今作のキャラクターに挑み、遠慮なく演じ切ってみせるその豪快さにそう感じる。
「はまり役」と言えばまさにそうだろうが、これほどまで自己投影された役柄をこの若さで演じられる女優は、実際なかなかいない。
好き嫌いは別にして、私生活も含めて、その「女優」としての在り方はやはり間違っていないと思う。
“そういう女優”を大胆にも起用し、えげつないストーリーの上で、えげつない演出を真正面から敢行した蜷川実花というこの女流監督のDNAは、まさしく“父親譲り”だなと感じた。
主演女優に対してはもちろんだが、寺島しのぶら脇役に対しても、なかなか“酷い”(褒めている)演出を行っていたと思う。
その一方で、イメージした映画世界の「理想」に対してそれを具現化するには、明らかに映画監督しての力量が及んでいなかったことも事実。
究極的に描き出したかった世界観は伝わってきたが、高みに達せず、節々で陳腐さが露呈してしまっていることは否めない。
長編映画二作目の監督が挑むには、ややハードルが高過ぎたと思わざるを得ない。
ただそれでも、この映画が「異質」であることは確かなことで、イロイロな意味で「見たいものを見せてくれる」映画であることは間違いないと思う。
もしも、監督があと20年早く生まれているか、もしくは主演女優があと20年遅く生まれていたならば、はるかにとんでもない映画に仕上がっていたかもしれない。