14.《ネタバレ》 “Guess Who's Coming to Dinner”『夕食には誰が来るか、当ててごらん』。公開当時、人種の違うもの同士の結婚という、近い将来あっちこっちで起こるであろう出来事を、とてもわかり易くシミュレートした映画です。
映画の尺も長くないし、映画の中でもその日の夜中までに結論を出さなければいけないとあって、とても無駄のない構成になっていると思います。
前提としてドレイトン夫婦が、娘の選択に対しとても理解のある両親であり、きっと白人の男を連れてきたなら二つ返事で了承したであろうこと。そのため夫婦が悩むのは、娘の連れてきた彼氏が黒人な事の一点。ジョーイがそんな娘に育ったのは「僕の影響ではなく、あなたの教育の成果です。」なんて素敵な青年だろうか。ジョンを世界を飛び回る医師という非の打ち所のない人物にしているのも、問題点を黒人の一点に絞る意味で素晴らしい。
ジョーイの両親の出した結論も、しっかり考えた末の理想的な結論。まさに模範解答だったんじゃないでしょうか?
当時の白人たちはこの映画を“もしも自分の子供が…”と考えながら観たことでしょう。アタマの中では近所のガラの悪い黒人だったり、犯罪ニュースで見る黒人を、先入観丸出しでイメージしながら、“たとえ黒人でも、ジョンのような文句なしの青年であれば…”なんて思いつつ“こんな結論を出せる立派な親になれていれば、いいなぁ”とか、思ったりしたんじゃないでしょうか?
冒頭の、割と長く映るジャンボジェット。ジョンの両親がロスからサンフランシスコまで650kmを40分で来る時代。今朝ハワイから来たジョンは、4時間後にはニューヨークへ、そこからジュネーブに飛ぶ。その日のうちに州や国境の壁を越えられる時代。人種間の壁は、どのように越えるのか?を考えさせらた事でしょう。
上で“無駄のない構成”って書いたけど、ドロシーとアイス屋(ちょくちょく出てくるウェイトレス)のシーンの必要性は謎だった。2人ともとても美人で、何か当時の“売出中の美人ワク”とかだろうか?
ドロシーはバーバラ・ランドルフってソウル歌手。ウェイトレスはアレキサンドラ・ヘイって、デビューしたての女優さんだったわ。