13.《ネタバレ》 -Death in Venice- 邦題ままだと思う。 でもイタリア語の-Morte a Venezia - で“ヴェネツィアの死神”にもなる。うぅ~ん…
タイトル聞いてもピンとこなかったけど、ビョルン・アンドレセンのカットで『あぁ、あの映画のことか』ってなった。むかし雑誌か何かで見た美少年。どういう内容か、ずっと気になってた映画。
初老の作曲家と美少年の2人は会話を一切しない。画的な大きな変化も少ないんだけど、美しいベニスの風景と美しい音楽、美しいタッジオを観ているだけで、とっても静かで心地よい時間が流れる映画。劇中何度か使われる、遠景長回しの映像は、まるで自分もそこに居るように感じられる心地よいものだった。
私は本作から、同性愛的な雰囲気や、性を連想させるような匂いは感じなかったかな。純粋に“美”を求めているように感じた。
『タッジオは死の天使で、アッシェンバッハを死に誘った』ってヴィスコンティ監督の解説を見てナルホドって思った。イタリア語のタイトルとも重なるし、死神ならベニスに広がるコレラ=疫病の蔓延にも関連ありそう。
タッジオは美少年だけど、彼に魅了されてるのはアッシェンバッハだけで、他の人はチラ見もしない。アッシェンバッハを誘惑するような眼差し。嫉妬心を沸かせる肩を抱いて頬にキスする友人。まるで誘ってるように柱に掴まってクルクルなんかも、実はアッシェンバッハだけにそう見えてるのかも。美を追求したものにだけに見える幻の美しさ。
せっかくコレラが蔓延している事にいち早く気がついたのに、既に死の天使に魅了されてベニスを去れない。年老いて醜く死を迎えるより、美しいタッジオを愛でながらの死を受け入れる。若返りのメイクはまるで死に化粧だ。最後に目に焼き付いたタッジオのポーズ。腕は水平線、指の輪っかは沈む太陽で、死を表現してるのかな。この海岸のシーン、聖闘士星矢のミスティを連想したわ。
アッシェンバッハがタッジオに魅了された気持ちって、もしかしたら欧米人より日本人の方が理解出来たかもしれない。その原因は初登場時のセーラー服。
本来、水兵さんの軍服であるセーラー服。女子校生がセーラー着る文化があるのって、当時恐らく日本だけだったと思う。
『美しい顔立ちの少年がセーラー服を着てる』セーラー服=汚れのない少女ってインプットされてる日本人は、それだけで彼を“神聖な存在”と認めたハズ。
一方でセーラー服=水兵さんって認識しかない欧米人からしてみると『ビョルン?あぁ、綺麗な顔立ちだよね』くらいの感想止まりだったと思う。
逆にタッジオがセーラー服を着るシーンがなければ、日本でのビョルンの評価は『あぁ、綺麗な顔立ちだよね』って感想止まりだったんじゃないかな。
欧米人気とは独立して、セーラー服が日本でビョルンを神聖化し、日本でCMやレコードも出し、いわゆる“ビッグ・イン・ジャパン”になったんじゃないかな。