13.《ネタバレ》 人は成長過程でどうやって「道徳心」を持つに至るのか?
これは「道徳心の育たなかった人間は、社会で生きていけるのか」という実験的な映画に思える。
ブリュノは金髪で青い目、標準の知能と健康な体を持たされているが、これは偶然じゃないと思う。
「他人と同程度かちょっと上」くらいの条件を与えられていても、「道徳心」が欠如していた場合は人間社会で生きるに困難である、ということのためのあえての条件なのだ。
どういう理由からか、ブリュノには道徳心が育たなかった。
で、ブリュノは「他人の持つ道徳心」があまりよく理解できないので、他人が「怒ったり」「泣いたり」するタイミングが予測できない。だから、彼はしばしば「急に怒る他人」とか「急に泣く他人」とか「急に無視する他人」とかに驚かされてきた。
そして、他人の反応を「学習」して、それに対処しながら生きてきた。「嘘がバレた時は他人は怒る」「自分の物を盗まれた時は他人は怒る」「借りた金を返さなかった時は他人は怒る」とかいう具合にだ。だから、「嘘をついた相手には会わないようにするか、またはさらに嘘をつく」「盗んだ相手からはひたすら逃げる」「金を借りた相手には会わないようにする」とかいう、彼なりの対処をしてきたのだ。
けれど、「子供を取り上げて売ったら怒る」かどうかは、彼のこれまでの経験には無かった。学んでいなかったから、知らなかっただけ。
ブリュノが自首した理由は、「スクーターのガソリンがなくなって」「ごはんが食べられず」「寝るところがなく」「シャバに居れば日曜日ごとに借金取りにオカマを掘られる」のと、ムショ暮らしを天秤にかけたからである。道徳心がないかわりにケチな損得勘定ばかりが発達している彼は、「ムショ」のほうがマシだと判断した。共犯の少年のためならもっと早く自首している。
さて作り手はブリュレをムショに放り込んだところで映画を終わらせる。ブリュレも彼女も泣いている。なぜ?お互いの未熟さが情けなくて?今後はどうなるの?
私の予想はこうだ。ブリュレはひとつ学んだ。「母親から子供を取り上げて売ったら怒る」ということを。次の時は、子供がさらわれたことにしたらどうかな。いや、雑踏に連れて行ったら迷子になったっていうのはどうだろう。彼女を怒らせないために、次はうまくやらなくちゃ。
道徳心が急に育つものなら誰も苦労しないのだ。