11.《ネタバレ》 主人公の死という悲劇的な話ながらも、ラストにおいてはとても前向きで明るい映画に仕上がっているのが印象的だ。確かに、彼女の歌からも後ろ向きなメッセージは感じられなかった。死を前にしても、彼女の前向きな姿勢や生き方が周囲を変えたのだろう。
自分の病気をネタにして藤代に変な顔をさせれば、残された藤代には、悲しさは消えることはないが、苦しさよりも楽しさが残る(ラストの藤代の笑顔もそんな雰囲気が出ていた)。「自分の努力は全て無駄で、娘にやりたいことをやらせなかった」という後悔にさいなまれた父親が「もう全部脱いじゃえ」という言葉に対する薫の返事には、父親の想像を超えた彼女の「強さ」「成長」が感じられるとともに、父親の行為が間違っていないことを、薫は父親に示したものだ。残された父親たちからは「後悔」は消えていたのは清々しい。
また、恋愛映画としても押さえるところはきちんと押さえられている。
薫は藤代の無邪気で無垢で正直なところに惹かれていたということは描かれていたし、藤代は薫の歌を聞き、彼女の魅力や、大きさ、大胆さに魅了されていった点がきちんと感じられた。
二人の出会い時の、二人の微妙な距離感や、盛り上がらない会話も大きな効果を果たしている。二人の距離感が徐々に縮まり、バイクに後ろに乗った薫が頭を藤代の背中に預けた時には彼らの距離感がなくなったのがよく分かるようになっている。
そして、好きな人のために藤代ができたことも実によい展開になっている。
たまたまストリートライブを聞いたメジャー関係者がメジャーデビューさせるといったようなリアリティを欠く、荒唐無稽なものではなく、お金さえ払えば誰でもCDを創れるというネットの情報を基に、好きなサーフィンを一時あきらめ、清掃のバイトを行うというものである。その気になれば、誰でも可能な「現実」がここには描かれている。藤代の清掃シーンを比較的丁寧に時間を掛けて描いたことは、とても好感がもてるものであった。このような地味なシーンはカットされがちだが、こういったシーンはとても味わい深いシーンと思う。
病気が進行してギターを弾けなくなった薫は歌をあきらめようとしたかもしれないが、藤代の姿をみて、自分のできる範囲で頑張り、彼の期待に応えたいという気持ちが現れている。「歌を歌う」という薫の言葉を聞いて、思わず藤代が涙を流すのも自然なものだった。