7.トレーラーを観て興味はそそられていたのだが、インターネット上にはことごとく酷評が並んでいたので、レンタルまで待とうかと思い始めていた。
しかし、昨夜、フォローしている某クリエイターのTwitterで、「面白いB級SF映画だ」と賛辞するコメントを初めて見つけ、やっぱり観に行くことにした。
B級SFであれば、酷評が賑わうことは、必ずしもマイナスポイントではないかもしれないと思ったからだ。
その映画ファンとしての思惑は幸運にも的中したと言える。
ウィル・スミスが出てくるような娯楽大作を観にきたつもりだったならば、確かに酷評は避けられないだろう。「糞映画」と言い捨てられても仕方が無い。
というか、「糞映画」であることは間違いないことかもしれない。
ただ同時に、これこそが「SF映画」であると高らかに宣言したい衝動にも襲われる。
それは、この映画が常に“規定路線”からの脱線を狙い続けているからだ。
いつ、観客が期待し想像している展開を裏切ってやろうか。と、この映画は終始“企んでいる”。
観客のイメージを超えることこそが、SFの醍醐味であり、最近はそういった気概に溢れた作品が少ない。
登場人物は極めて少なく、キャストは無名俳優ばかり。映像のクオリティーは極めて高いが、場面展開は最低限に抑えられ、製作費の根本的な少なさは嫌が上にも感じる。
しかし、その低予算の中で、“どんな形であれ”観客を驚かしてやろうという意志と「悪ふざけ」は評価に値すると思う。
また一方で、この映画の監督(兄弟)は日本の漫画に精通しているのではないかとも思えた。
エイリアンたちのグロテスクな触手や、主人公が異形のものと“混じりあっていく”描写は、岩明均の「寄生獣」を思い起こさせた。
そして、人間が光でおびき寄せた小魚を貪る様に捕獲するかの如きエイリアンによる「侵略」の様と、そこに見え隠れする“皮肉”は、藤子・F・不二雄の短編「絶滅の島」を彷彿とさせた。
そういう部分は、日本の漫画ファンだからこそ余計に無視出来ない面白味だと思う。
とにかく、大多数が蔑む映画であることは間違いないが、その大衆からの否定感が、殊更にこの映画のSF性を証明している様な気がしてならない。