13.映画の冒頭、主人公の少年を追ったカメラが縦横無尽に動き回りながら、パリの中心の巨大なターミナル内のめくるめくような舞台の“裏表”が映し出される。
この映像そのものが精密な機械仕掛けを表現しているようで、見ているだけで楽しく、「どうやって撮っているんだろう」とただただ惚れ惚れしてしまった。
「HUGO」というタイトルが映し出されるまでのその冒頭数分間の映像世界が、この映画の立ち位置と価値を如実に表していると思った。
その価値とは即ち、“夢を形にする”という「映画」が元来持ち続けた役割そのものだと思う。
この映画における最大の“映像的”な見せ場が、少年の夢だったという構成も、そのことを端的に表している要素だろう。
今年のアカデミー賞において本命争いを繰り広げた作品ではあるが、映画として“面白味”が大きいとは言えないと思う。
“子供向け”と言える程の娯楽性があるわけでもなければ、“大人向け”と言える程のドラマ性や人間描写の深みがあるわけでもない。
時に過剰に思える程に懐古主義的だし、その割に核となるテーマの描かれ方は中途半端に思えた。
ただし、世界中の多くの人たちと同様に映画が好きで好きでたまらない以上、僕にこの映画を無下に否定することなんてできるわけがなく、結局愛おしく思わずにはいられない。
この映画は、描かれる人物の物語をスクリーンに対して客観的に観て同調し感動するものではないのだと思う。
冒頭のシーンに誘われるままに、主人公の少年と共にあのターミナルの場所に立ち、彼らとともにこの映画の世界に存在するべき映画なのだと思った。
つまりは、結果的に面白く思おうが思わなかろうが、映画館の大スクリーンで観なければ意味がない映画で、全編に渡ってその効果があることが疑わしくとも、3Dで"体感”すべき映画だったのだろう。
この映画の存在を知った時から懐疑的だったマーティン・スコセッシが3Dで映画を撮らなければならなかった意味がようやく分かった気がする。
映画の内容にそぐわない邦題には、毎度のことながらほとほと呆れる。
ただこの映画が、「映画」という世にも不思議な発明を描いた作品であることは間違いなく、「面白い!」とは決して断言できないけれど、映画ファンとしては可愛らしくて思えて仕方なく、愛着を持たずにはいられない。
そういう不思議な映画だと思う。