3.《ネタバレ》 この映画で皆が思うのは「どこからが妄想で、どこからが現実か?」ということでしょう。
自分は、円山が警察の話を聞いたあとからが、円山の妄想であると思います。
学校で羞恥心なくズボンをおろすこともありえないし、一度は戸惑いがあったとはいえみんなが「自主トレ」を応援してくれることも常識で考えればありえません。
円山は見事な軟体でヤクザの攻撃を避けていましたが、最後に清水さんに再会した時には、もとの体の硬さに戻っています。
そもそも、下井のベビーカーが銃に変形し、下井がヤクザを倒すという展開がもっともありえないでしょう。
この妄想は、円山の願望が現れていると言えます。
円山は、清水さんから「どうして人を殺してはいけないのか」と問いただされていて、上手く返すことができませんでした。
その後、円山は自分の妄想の理解者であった下井が、人殺しであるかもしれないと告げられるのです。
円山にとって、それは現実だと信じたくないことだったでしょう。
だからでこそ、円山は自身がみんなに祝福される上に、下井が大暴れをするという妄想をしたのではないでしょうか。
団地に平和が訪れたあと、円山は清水さんに「正義のヒーローっていうのは、人を殺しちゃいけない理由を知っている人だよ」と言いました。
妄想の中でも下井はヤクザを撃ち殺しています。
円山にとって、下井は正義のヒーローではありません。
しかし下井が「子連れ狼」としてヤクザを倒し、円山とともに戦ったことは、円山にとって現実の殺人と比べれば陰惨なものではなかったでしょう。
円山は、現実の残酷さを妄想で「上塗り」したのです。
そしてなぜ下井は円山の妄想に乗っかり、そして妄想を続けることを推奨したのでしょうか。
それは下井が「中学生が現実にやったこと」により、妻の命が奪われたたためでしょう。
妄想であれば、誰にも迷惑をかけることも、誰も傷つくことはありません。
さらに、妄想の中では(ある程度は)好きなようにキャラクターや物語を作り上げることができます。
下井の妻を殺した中学生も、妄想の中で欲望を発散していれば悲劇は起きなかったでしょう。
そして、妄想を信じることができれば、現実のネガティブな側面も覆い隠すことができるのです。
それこそが、下井の「現実に負けるな。妄想が現実を越えれば、それは真実になるんだ」ということばの意味でしょう。