1.ローリング・ストーンズによる曲の創作とブラック・サバスによる革命の創造を並列させ提示する。いわゆる政治の時代に差し掛かった作品だが、ゴダールの立ち位置は決まって提示者である。毛沢東支持を表明していたミック・ジャガーのつくる音の高揚がブラック・サバスの暴力的差別撤廃運動(革命)に正義を与えてしまうといえばそうなのだが。本作では珍しく長回しを基調としているが、これは技術は主題によって決定されるべきという基本論理に乗ったまでのことで、これをもってゴダールらしからぬとは間違っても結論付けてはならない。さてどこまでいっても並列をたどるこの映画、音と映像と言語の主従的でない関係に似ているとも言える。以前ゴダールが「音や映像を用いずにどうして構造が語れるというのか」と、フーコーらを批判したことがあったが、これもまた構造についての思索の一環と捉えることができそうだ。ただ主題を捉え続け、またそれが映像・音・言語を通じて響いてきたかというと十分ではなかった。移動撮影やクレーンショットの見事なシークエンスは間違いなく存在するのだが、この映画は強度を保ってはいない。