1.DVDがロングバージョンで収録されてると知らなかった。すぐに借りて見た。216分。6の3乗! 前半の方に記憶にないシーンが多かった気がするが、公開版より49分(7の2乗!)も増えている感じはなかった。野枝が大杉の家を訪れ妻と会う傘のシーンの陶酔はそのままだし、日蔭茶屋事件の緊張の充実も変わらず味わえる。そして全体としての評価に戸惑うのも、スクリーンで見たときと同じ。大正篇は重厚な悲劇としてほとんど完璧に出来上がっていると思う。自由を望みつつも嫉妬に囚われてしまうというモチーフは、単なる痴話を越えた大きなテーマだ。でも多分そういった悲劇として閉じてしまわないために、現代篇がくっついてるんだろう。この映画今回で3回見ているが、この現代篇をどう見ていいのか分からない。フリーラヴの昔と今の対比とか、持続する革命の困難とか、理屈は浮かぶが、どうにも面白くない。一柳慧の音楽が、流麗なメロディに、バキッとかガガガなんて雑音が混ざる仕掛けになってて、おそらくこの映画の大正と現代との対比にもなってるんだと思うんだけど、この雑音ほどの効果が現代篇にあっただろうか(こういう音楽の使い方は、数年後、篠田正浩の『沈黙』で武満徹もやった、あっちは西洋と東洋のぶつかり合い)。その時代の先鋭的なポーズは、時代が終わるとただの滑稽な気取りにしか見えない。かえって現代篇で一番興味深いのは、新宿副都心開発中の姿が見られる記録としてだろう。もっともそれも、カラー・普通の露出で見られる梶芽衣子の『野良猫ロック』のほうがいいのだが。というわけでこの映画を見ると、大正篇だけだったらなあ、という気持ちにどうしてもなってしまうのだ。閉じた悲劇を完璧に作るのだって、現代的な意味はあったと思う。