2.《ネタバレ》 最初と最後に無名戦士の慰霊碑が映り、名も知れず死んだ英雄を顕彰する体裁になっている。碑文はロシア語とドイツ語で書いてあるが、ここはベルリン市内に今もある公園のようで(Treptower Park)当時は東ベルリンということになる。東ドイツならソビエト連邦の友邦であるから単純に敵扱いにはできないわけで、劇中のナチスは悪であっても一般庶民は傷つけなかった。
邦題からすると戦車映画だが、主役の戦車は砲撃もしないでただ走り回るだけである。邦題の「鬼戦車」のイメージそのままでもないが、途中いろいろ踏み潰したり突き破りながら爆走したりして、この車体自体が鬼(金棒なし)とはいえる。そういう鬼の所業だけでなく、お花畑の乙女(でもないか)とか、バットマンの像を倒してドイツビールをもらうとかの見せ場も入れており、悲壮感を強調しないユーモラスな作りになっていて、ちょっとした娯楽映画としてはよくできているように見えた。
なお映像的には半地下の窓から広場の戦車を見通す構図が面白かった。
ところで原題は「ひばり」という意味だそうで、どこに鳥がいたかと見返すと、最初と最後に空を映したときに声が聞こえた鳥がそうだったらしい。空高く昇っていく鳥に自由への渇望を重ね合わせたとすれば、世評で「大脱走」(1963米)のソ連版と言われているのも確かにそうかも知れないと思った。
森で若年兵が錯乱していた場面では、ドイツの林業は管理が細かいといいたいのかと思ったがそうでもなく、番号による支配の恐怖を表現していたらしい。自分としてはこれを見て、「収容所群島」で悪名高いソビエト連邦が他国のことなど言えるのか、と皮肉を言いたくなったが、しかしあるいはもしかすると、まさにそのソビエト体制に対する制作側の批判が込められた場面だったのではないか。どこまで勘繰るかにもよるだろうが、映画館での独裁者打倒の場面にも、少し前までソビエト全土を支配していた別の独裁者の姿を重ねていたかも知れず、これは英雄賛美を装った体制批判映画ではないのかと思った。
なおラストの展開について、これが当時の現地の観客にも素直に受け入れられたということは、過酷な抑圧や思想統制が続いた国でも("悪の帝国"ソビエト連邦)人の心が全部悪に染まっていたわけではなく、こういう素朴な良心や基礎的な倫理が一般庶民の中でちゃんと生きていたということだと解する。これからどんな非道がまかり通る社会や世界ができたとしても、せめて自分と自分の周囲ではこういう心を共有していきたい、と多くの人々が思い続けることが、支配と抑圧への最小限の抵抗になるのではと思った。