4.《ネタバレ》 ・監督のセンス・力量は確かである。音楽やカットの多さでごまかさず、ずばりを映し出す手法には自信を感じる。人物描写にも手を抜かず、ヤンキー一人一人に対しても存在感を吹き込んだ。
・沈黙したまま数秒以上経過させるなどの演出を多用したことにより、冗長さを感じさせる。テンポの早い場面と、静止場面のバランスがあまり良くない。
・グロ・スカトロ場面の思い切りが良すぎて残念。
子供の虐殺場面により、海外での公開は望めないこの作品。しかし、監督の並々ならぬ才能を確実に示している。だから、スカトロ場面が残念なのだ。宮崎勤事件以来、悪評高まったグロ・スカトロ系のとんでも映画との違いを示しにくくなってしまう。
「隣人13号」がその手のとんでも映画と同じなのかと聞かれれば、誰でも「それは違う」「なぜなら有名俳優が出演しているから」と言うだろう。けれど、小栗旬や中村獅童を知らない観客が見たらどうだろう。グロ・スカトロ以外の描写がいかに優れていても、とんでも映画との違いを説明するのが難しい。この監督に、日本では珍しいセンスを認めるからこそ、私はグロ・スカトロからは手を引いてほしい。井上靖雄はリドリー・スコットではないので、アンソニー・ホプキンスやジュリナン・ムーアを起用することができないのだから、同じくらいにグロい場面を撮ったときでもそこには決定的な違いがあるということを意識しなければいけない。「貴族の芸術的お遊び」と「特殊な愛好者向けの供給物」という違いが。
もうひとつ、過去のいじめられっ子の怨念を昇華させ、現在のいじめられっ子へ救いと問いかけを投げ、現在のいじめっ子に対してはある種の脅しとなり、過去のいじめっ子の良心を問うという映画の目的が明確すぎる点。
例えば、「麻薬はこんなにおそろしい~ドラッグの恐怖」という中高校生向けの啓蒙映画があったとしよう。そこにはどれだけの芸術性があるだろうか。「飲酒運転の恐怖~飲んだら乗るな」はどうだろう。「悲惨ないじめ~見て見ぬふりはやめよう」とか「みんな同じ人間だ~手を取り合って」とかいういじめ撲滅啓蒙映画があったらどうだろう。
目的が明確すぎるということは相対的に芸術性が落ちるということなのだ。
だから「昇華」を目的に作品を作るのは私はあまり感心しない。これはなかなかわかってもらいにくいことだが。
今後におおいに期待する。