1.『ニッポン国古屋敷村』への準備のような二本。『三里塚・辺田部落』でつかんだ「農業の死」というテーマを展開していく。日本でいま進行している米作りの死の前に、養蚕業の死ってのがあったわけだ。国の柱としてもてはやされながら見捨てられていった産業と、それに付随する技術、それを記録しておきたいという気持ち、そういったことを表には全然出さないけれど、小川の仕事を通して眺めると、この「お蚕(こ)さま」への視線に当然のようにそれが見えてくる。手間を掛けることが楽しみになっていくような仕事のありよう。現在はいかに仕事から手間を省いていくか、ということに努力しているが、それが仕事を「苦役」にしてしまっている。また仕事の内容も完成の手応えの感じられないほど細分化され、工夫しようのない「苦役」になっているのだが。かつての労働が苦役ではなかった時代、品質が上がること・生産の効率が上がることへの手間をかける工夫が、そのまま楽しみになっていた時代。もちろん上部による搾取など経済的な苦しみはいつの時代もあったが、少なくとも仕事の現場では理想的なありようが、ここにはあったのではないか。冒頭、木村サトさんのおかあさんが伝説を語る。最初のうちは一生懸命標準語に近く話そうとしているのだけど、次第に地元の言葉に変わっていくのが楽しい。火事をきっかけに上の代がサトさんの代に替わった、そういうカッチリとした村社会の切り替え。かつての華やかなころの思い出を語らせるのも好きで、絹の服で学校に通った、とか。蚕が上に集まると蚕棚(?)がぐるっと回転する仕掛け、こういった工夫の楽しみこそが、本来の労働の手応えだと言っているよう。『三里塚・第二砦の人々』で、地下壕の換気口を工夫している農民の自慢げな顔を思い出した。