10.《ネタバレ》 グロテスクで意味不明な映画というわけではなく、完全には理解できないけど「メディアの危険性」に警鐘を鳴らしている作品。かなり時代を先取りした良作ではないだろうか。おそらく当時の人は、突飛すぎていてあまり理解はできなかったと思うけど、今観れば少しは理解できると思う。
現代社会を踏まえれば、本作に描かれていることは大部分が現実化していると思う。
本作でジェームズウッズが体験したことを現代に置き換えると、「インターネットやDVDを通じて反社会的かつ、より刺激的な画像や動画に多くの人が群がる(劇中では「ビデオドロームへの関心」)」→「現実(リアル)と擬似(ヴァーチャル)の区別がつかなくなる者の増加(劇中では「ジェームズウッズの妄想」)」→「リアルとヴァーチャルの区別がつかなくなることによる犯罪の増加(劇中では「ジェームズウッズのテレビ局襲撃」)」→「現実からの逃避(メディアの世界にのみに生きるひきこもり)(劇中ではラストで「ジェームズウッズが自己の肉体を殺して、テレビ(ビデオ)の中で生きようとしたことの現われ」」という流れになると思う。
また、何年もの前に亡くなった俳優やミュージシャンが、亡くなった数年後でさえもCMに出演したり、CDを続々とリリースし、亡くなっているにも関わらず、まるで生きているかのような活動をする現象も、オブリヴィアン教授で見事に表現していると思う。
25年もの前に、このようなメディア社会の未来をずばり描いている点は凄いとしかいいようがない。
しかしながら、そうは言っても、刺激的な画像や映像によって、人々を反社会的な行為に走らせないようにしているのも事実だろう。人々はメディアを通じて疑似体験することにより、暴力的な衝動や性的な欲求を緩和することができ、犯罪が抑止されている。
本作は、その両面をカバーしているのではないか。メッセージ的には刺激的なメディアによる暴力行為増加への警鐘を鳴らすとともに、視覚的にはより暴力的な映像を駆使することにより、人々の暴力的な欲求を抑える働きをみせていると思う。
だから、クローネンバーグの映画はいつもグロテスクで暴力的なのではないだろうか。