2.《ネタバレ》 これは、賛否というより好悪が分かれる作品だと思った。作品のタイトルからして謎。少女が抱えるたまごが「天使のたまご」なのか、少女=天使で、天使が抱えたたまごなのか、いまだにどちらか判別できない。さらに、青年が少女を絶望させたかったのか、たまごに害を加えたかったのかの判別も、最初は理解できなかった。2人が互いに「誰」と問い合うシーンが多いのも暗示的で、特定されたキャラではないことが作品に底の知れない不気味な深さを与えている気がする。とにかくわからないことだらけ。
ただ、少女が卵の中で命が育っていると信じているのは、最初から何となく違う予感がしていた。卵は死んだ雛が入っているか、中身が消えうせた浅利のように、空っぽなのではないかという気がしていた。彼女が大事に大事に抱えていた卵を、青年は無残に剣(?)で突いてしまった。もしかしたら、いつまでも孵(かえ)ることのない卵であることを彼は知っていたのではないか。卵の中には、自ら殻を割って表に出てくる温かい命などない。彼は独善的に、こんな卵を少女に持たせ続ける方が残酷だと考えたのかもしれない。
散乱した卵の殻を見て、少女は悲鳴をあげる。しかしなぜか、その悲鳴が響き渡って初めて何かが再生する予感が生まれたような気がした。彼女は力強い腹式呼吸で泣きわめいた。暗澹たる空気を切り裂く人間の声が、映画の鑑賞中初めて血の通った生々しい音声として耳に突き刺さったからだ。ウィキの監督による解説を読み、なるほどやはりそういうことかと合点がいった。
例えば、1人息子が行方不明になった母親を想像してみる。息子は、もしかしたらどこかに生きているかもしれない。少女が「お願い、たまごを傷つけないで」と青年に言ったのは、そうした母親の一縷の望みのようなものかもしれない。しかし、息子は何年も何年も帰ってこない。そこへ、唐突に彼の遺体が見つかったとする。母親は絶叫して号泣する。しかし、やがて息子の死を受け入れ、自らの人生を歩むためにやがて前を向き始める。
・・・・・・そうしたことの寓話として作られた話ではないか、という気がする。少女の悲鳴が、私にとって最も大きなヒントになった。
それにしても、大きな魚影が街中に現れたときはびっくりした。1985年の映画なのに、早々にプロジェクト・マッピングを予言している!? 始祖鳥を思わせる巨大な化石、あるいはレリーフ(?)にも驚いた。ノアの箱舟といい、根元的な生物の再生の物語として描かれていたのかもしれない。