5.有馬稲子の魅力にすっかりやられてしまった作品。 そして小津作品群での異彩度に1点プラス。
元はといえばFive Japanese Divasと題したシリーズで原節子と山田五十鈴が共演している作品という位置づけで取り上げられた中で鑑賞したのであるが、その二人を差し置いて自分の注意を惹きつけてしまったのが彼女だった。運命のいたずらとは面白いもので元々は岸恵子に行くはずの役どころだったのがスケジュールの都合で彼女に回ってきたとのこと。岸恵子の演技については本フェスティバル中に「早春」(1956) にて「きんぎょ」とあだ名される軽薄な女性を演じる形で遭遇するのであるが、そのイメージから判断する限りではこの役は有馬稲子の方がハマっていたように感じる。
印象深い役どころを演じている役者のひとりに高橋貞二がいた。彼はこの作品の公開2年後に自動車事故で33歳の短い一生を終えており、小津作品では本作の翌年に公開されている「彼岸花」が最後の出演ということになる。一度目に本作を鑑賞したときはそんな感慨をもって彼を眺めることは出来なかったが、今はそういうところにも心が飛躍して行くようになった。これを成長と呼んで自己満足しておこう。
小津監督の音楽の使い方はときどき混乱させてくれる。全編を通して流れるのんきな旋律はどこかに明るい結末や救われるシーンが現れるのかと期待させてくれるのであるが、その期待とは裏腹にこのお話の中ではいつまでたっても現れず…そして終焉を迎えてしまう。この同じ旋律を他の小津作品のどこかで聴いたのだがどの作品だったか忘れてしまった。はてさてこの旋律の意味するところはなんだったのか、これまた天国の彼に訊いてみたいことがひとつ増えたかたちになる。
ここでも理想の父を演じた笠智衆。小津はその像をもってしてそんな父がいる家庭でさえもこうなってしまうことがありうるということをみせてくれる。姉妹が父から受けたのは愛情と型にはまった理想というようなものが表裏一体となった何か。娘たちを不幸せにしたのも父だったと言えば少し酷な言い方か。