1.《ネタバレ》 あえて80年代を持ってきたあたり、「続編」志向が無い話ではない、と思うのは、これは「因果な一族」のストーリーであるからだ。ていよくショーンJrもいることだし。
犯罪学の先生によれば「人殺し」も能力のひとつで、訓練しなくても、最初からすんなり人を刺したり撃ったりできてしまう、そういうのが平気な人たちが一定の率で存在するのだそうだ。だからといって必ず人を殺してしまうわけではないが、戦時などにはそういう人が大変役に立ってしまうらしい。普通の人はためらってしまい、人を殺すことはなかなかできないそうだ。戦時には、普通の人にも人殺しができるように、軍は訓練をしなくてはならなかった。
で、サリバンの一家というのは、少なくともオヤジにその能力があった。そして、兄のフランシスも、血を受け継いでいて、父の教えにより能力を磨いた。
が、父はショーンに対しては大学に行って学問をつけ街を出てゆけと言って、家業について何も教えず、ショーンは父と兄が人殺しで稼いでいることを知らなかった。
それなのに、ああそれなのに、誰にも教わっていないのにショーンは無抵抗の敵を背後から3人も殺すことが「できた」。なんの警告も与えず、なんのためらいもなく。
どんな理由があっても、ショーンのような無慈悲な殺し方は、「能力」が無ければできることではないのだ。…つまり、ショーンは父よりも兄よりも「能力」に秀でており、なおかつ「罪の意識が欠如している」。
ヘルズキッチンの人びとの額に灰の十字架が常にあるのは、誰しも何らかの「罪」を自覚しているという意味だ。人を殺しても全く心が痛まない…ショーンの額に一度も印が書かれないことは「罪の意識が無い」ことをあらわしている。
劇中、身内をショーンに殺されたモランが「正当な裁きが行われたといえるのか」と問う場面がある。
実は、ショーンが3人を殺した「罪」は、「母親の命」によってあがなわれていた。神は母親を重病にすることによって、サリバン家に裁きを与えていた。フランは「そのこと」がわかっていたので、ショーンが墓参りすることを許せず激高したのだ。
さて、今回もサリバン家はボスのスミスの協力を得て首尾よく敵を始末した。けれど、また「裁き」は行われた…ラストでフランがショーンと間違われて殺されることで。
罪と罰の繰り返しの話なんである。まあ日本人ウケはあまり期待できない。