3.《ネタバレ》 後味の悪さが後を引く作品。これは確信犯的なものだろう。人間の残酷さ、冷酷さ、恐ろしさ、理不尽さといったものを描き切っている。さすが松本清張・橋本忍・山田洋次という才能のある者が関わった作品だ。タイトルにあるように霧に包まれたようなボンヤリとした状態が続き、最後までその霧が晴れないという気持ち悪さを存分に味わえる。凡人ならば、大塚弁護士を悪徳弁護士の設定にして、もうちょっと彼に非があるようなものにしてしまうだろう。そのような設定にすると、印象もがらっと変わってしまう。「復讐が成功した」という晴れ晴れした気分となるが、単なる復讐劇でしかなくなり、すぐに忘れ去れてしまい、本作のような気持ち悪くなるインパクトが相当に薄れてしまうのである。
東京の高名で多忙な弁護士が九州の事件を断るというのは当然の流れである。弁護料と称して金だけぶんどって事件を解決しないという類ではない。事務員が断ってもいいものをあえて面談して比較的丁重な断りを入れている。その後も事件を独断で調査するというようなところをみせており、大塚弁護士自身は非常に仕事熱心であり、有能な人材ということがよく分かる。そのような彼が不当な扱いを受けなくてはいけないということが、人間や人生というものの奇妙さ・不可思議さ・理不尽さが垣間見られる作品へと昇華させる。
本作に描かれた2件の殺人事件は同じようなケースである。桐子の証言や物的証拠がなければ、有能な大塚弁護士でさえも無罪や釈放を勝ち取ることができないということは、裏を返せば九州の事件も大塚弁護士は解決できなかったといえるのかもしれない。
左利きの者が犯人ということが分かっても物的証拠がなければ、逆転無罪を勝ち取ることは困難だっただろう。桐子がいくら大塚弁護士に頼んでも、兄の事件の顛末は変わらなかったかもしれないということを桐子自身が分かっているということにもなる。
また、桐子の行動によって真犯人は野放しにされており、その真犯人はひょっとすると兄の事件の真犯人かもしれないということもいえる。桐子の行動は相当に自己矛盾をはらんでいる。人間の行き場を失った“恨み”というものはそういった矛盾や理性といったものすら凌駕するということを本作は伝えたいのかもしれない。
桐子の行動の不条理さが気持ち悪くて評価を低くしようとしたが、この映画はかなり深い(不快ではなくて)作品だ。