2.1990年以降、このユーゴスラビアを巡る長い長い軍事紛争の悲劇はヨシップ・ブロズ・チトーという
ある意味では優秀過ぎる指導者の出現から始まっていると言えます。
彼の功罪は徹底した自主自立に元付いた平等主義(自主管理社会主義)でしょう。
1900年代初頭、民族もバラバラなら宗教も言語もバラバラで
欧州の火薬庫と称されていたバルカン半島を
あっと言う間に纏め上げた政治力とカリスマ、そしてその歴史的功績
なによりもスターリンの大粛清の災禍を防いだ英雄として
現代に置いても彼を崇拝する社会学者が多いです。
彼はトータルナショナルディフェンス
つまり、コミューンと言う国家における最小の自治組織レベルで総皆兵制を敷き
非常に強固な連邦武装中立体制を作り上げました。
しかし、この体制は国内の民族主義を、徹底排除する事で成り立つシステムであり
その為の緻密な軍制組織を有していた事が後々の紛争の種と成る。
また、ユーゴの国家体制と言うのはチトーの影響力(政治的カリスマ)が有ってこその体制で
ある意味で独善的な超トップダウン的ヒエラルキーであり
「国益の分配を公平に行う」と言う前提条件が崩れてしまえば
後は上層組織が暴走するのは自明のシステムでした。
その懸念通り、彼が死んだ後はその国家システムが瓦解し、民族、宗教ごとの対立が激化し
国民はめいめいの持つナショナリズムに突き動かされ、雄たけびを上げて備蓄されていた武器を取り
隣近所に住む異民族、異教徒へ銃を向けたという状況が簡単に言えばユーゴ紛争の始まりであり
スレブレニツァの虐殺は、ラトコ・ムラディッチという扇動者が
幾つかの自治軍からセルビア人の民族主義者を纏め上げて作った
いわば独立愚連隊に等しい組織だった。そういう流れがユーゴ全土で連鎖し
軍閥が入り乱れる封建主義的な群雄割拠状態を作ったのです。
ムラディッチは元々国粋的な民族主義に傾倒していて、しかもヒエラルキーの上層を統べる1人であり
それに自治区ごとの軍制が伴う為、ある意味で局地的独裁者でも有った事が災いしました。
酷な言い方かも知れませんが、チトーは自分の亡き後、この国がどうなるかまで見通せなかったのでしょうか。
もしそれが見通せて居たなら、チトーは近代史に燦然と輝く、偉人と成っていた事でしょう。