1.《ネタバレ》 スカーフをプレシャスと似た境遇の子供に渡すシーンから、鏡のシーンを挟み、母親との決着をつけるまでのシーンの連なりは、食い入るように見てしまった。連鎖の阻止、自己の確認、捨てるという一連のプロセス。巨大な支配を潜り抜け、彼女は自由になった。母子3人で歩き出す彼女の足取りは、どっしりとしていて希望に満ちているようにも思えるが、待ち構えているのは苦難ばかりである。一歩ずつ、ゆっくりと歩んでいくしかない。母を捨てるという決断。その選択肢があるということを提示してこの物語は終わる。逃げることも許されるんだよと。
しかし悲惨ですね。色々な段階が逆で、父を捨てる瞬間は、処女とともに奪われ、母を捨てる瞬間が、子を産む痛みよりも先に来る環境なのだから。
中盤に登場する半世紀前のI have a dreamの演説がこんなにも空しく響く映画もない。
と、ここまで書いて、あの演説をネットでもう一度読んでみて鳥肌が立ちました。中身ちょっと似ているではないですか。あの時代はアメリカ社会に向けた意味合いが強かったと思うのですが、今は構造がかなり変わってきてるのかな。(舞台は80年代ですが)この映画、黒人監督による黒人社会に向けたメッセージ的意味合いの方が強いんではないでしょうか?この映画では、プレシャスに暴力を行使するのは、すべて黒人なんですよね。暴力の連鎖をコミュニティの内部から食い止めようではないかという気概が感じられます。マライアの起用はアフリカ系とのハーフだからいいのかな?