1.《ネタバレ》 余命いくばくも無い金持ちジイサンが、意識はそのままで、若者の体に乗り換える。
と言うと、フランケンハイマーの「セコンド/アーサー・何とかから何とかかんとかへの転身」(←ちゃんと覚えろよ)などを思い起こしたりもするのですが、こういうネタだと、意識を移し替える作業のSF的な過程だとか、若者の体を手に入れた驚き・喜びだとか、そういう部分で映画を肉付けしそうなところ、本作ではそういう要素はかなりアッサリとした扱いに留められ、事件の真相、主人公が巻き込まれる危機の方に、サクサクと物語が進められます。
だもんで、その分、サスペンス・アクションとしては色々と盛り込まれてはいるのですが、やっぱり背景への踏み込みが浅すぎるのかな、とも。元の体の持ち主に対する主人公の関心、といったものがあまり描かれる訳でもなく、だから、なぜ主人公が、元の体の持ち主の家族のために必死になるのかという点にも触れられることなく、せっかくこれだけの背景を準備した作品なのに単なる「良心的ヒーローもの」になっちゃってるような部分があります。そうなってくると、変に色々と盛り込んだ設定がサスペンスの足を引っ張ることにもなり、よく「サスペンスの発端は単純な方がいい」なんて言うけど、確かに一理あるなあ、とも思えてきて。
さすがに主人公と娘との関係、という部分は、もう少し掘り下げなれなかったものか、と。
と、まあ、そういった不満はあるにはあるんですけどね。でも、それを差し引いても、なかなか面白かったですよ(と、例によって卓袱台返し)。
転身前の主人公がいる、ニューヨークの高層建築の窓から、遠く地上の世界が広がっている。一方、転身後の主人公が向かう、南部の鄙びた世界、といった対比。
定期的に薬を飲まないと、転身者は記憶が混乱し、視界が歪み始める。その歪んだ景色、と思われた視線の先から襲い掛かる火炎放射器の炎。
何より、この「他者に移し替えられた自分の意識」というテーマは、「自分は必要な存在なのか」「自分ではなく、他の誰かでいいのではないか。他の誰かの方がいいのではないか」という哀しい自意識につながるものがあって、その切実さが本作では、ラストにおける一種の諦念とも結びつき、詩情のようなものすら、感じさせます。
モニター内の「見知らぬ」自分と向かい合う男。そういやトータルリコールのシュワも同じようなコトやってましたけど、同じようなシチュエーションのシーンでも、これ程までに違う印象を与えるんですねえ。