1.本作のタイトルのみを見た人のうち、一体どれだけの人が、このフランス映画の正体が“トンデモサメ映画”であることを感じ取れるだろうか。
日本語タイトルだけがふざけているのかと思いきや、原題も同じく「Sous la Seine」、まったくもってどうかしている。
“どうかしている映画”であることは間違いないが、本作は“サメ映画”の映画史的な文脈に沿った見事なB級パニック映画だった。はっきり言って、「絶賛」したい。
トライアスロンの国際大会が行われるパリの象徴であるセーヌ川に、太平洋に生息していたはずの巨大ザメが出現するというザ・トンデモ展開が、まず馬鹿みたいで楽しい。
主人公が海洋汚染を研究する海洋学者だったり、パニックの引き金となる行動を起こすキャラクターが自然環境保護を訴える過激な活動家だったりと、意識の高さと低さが混濁するキャラクター設定もユニークだったと思う。
そして何と言ってもパリ五輪開催の同年にこの映画をぶつけてきたことは、あからさまなオリンピック批判であろう。その是非はともかくとして、アグレッシブなその姿勢は嫌いじゃない。
とはいえお世辞にも完成度の高い映画とは言い難い。
ストーリー展開も、キャラクター設定も、映像表現も、極めて類型的であり、セーヌ川に巨大ザメが大量に出現するという設定以外に特筆すべき点はほぼ無い……映画のラスト5分までは。
ラストの顛末、オチが、本作の“トンデモサメ映画”としての価値と独自性を爆上げしている。
それは環境破壊による海洋汚染を引き合いに出した本作に相応しい終末だった。
きっとこの映画の世界線では、700年後、宇宙飛行士のチャールトン・ヘストンが「鮫の惑星」に降り立つだろう。そして、上昇した水面からわずかに飛び出たエッフェル塔の先端を発見して咆哮することだろう。