2.《ネタバレ》 トビー・フーパー作品として非常に素晴らしいスラッシャー・ホラーでした。
もちろんトビー・フーパーは「悪魔のいけにえ」というとても偉大なものがありますから、肩透かしを喰らった感を抱く人の方が多いに決まっています。
「悪魔のいけにえ」と比べると迫ってくる感じが無かったなと思ってしまうかもしれません。僕も思いました。
しかし、それはしょうがないことでしょう。「人は意識に反応せずに無意識に反応する」と誰かがラジオで言っておりました。
それで乱暴な言い方をしてしまうと、「悪魔のいけにえ」ではトビーフーパーがあまり意図し過ぎずに、彼の「無意識」の部分で映画を作っていたのだと思われます。
だから忠実に観客に恐怖(他いろいろなもの)が伝わったのだと思われます。
無意識で作ったほうが純度の高いものが出来上がるのでしょう。
しかし、それ以降の彼はあまりの成功に「意識せずには」いられなかったのかもしれません。
だからいろいろと「意識して」ホラー映画を作ってしまうために、観客に伝わりづらいのかもしれません。「空回り」「スベる」といっても良いでしょう。
しかしトビー・フーパーの「狂気」というものがちゃんと彼の無意識にあって、それが彼の意図しない部分で自然に作品に表れているような気もします。
よく分かりませんが、、、おっちゃんが車の中から子どもにショットガンを構えて爆笑する場面ではなかなかの狂気を感じましたが、これはトビー・フーパーならではの侠気の人物描写だと思います。
この作品では、サーカス小屋や見世物小屋での「見てはいけなかったものを見てしまった」ような感覚を味わえるかもしれません。
子供向け(?)でありながらも毒々しくグロテスクな人形達が見事に「狂気」を演出しています。
畸形殺人鬼の狂気とか本気度は、やはりこれはトビーフーパーにしか撮れないものだと思います。この殺人鬼の暴走度は、かつて「悪魔のいけにえ」のレザーフェイスで感じたそれです。
でもオーソドックスなせいか、ポッカリと空虚感を味わうかもしれません。
しかしB級レトロホラー、B級ゴアスラッシャーとして、ど真ん中に位置しそうなこの作品を、僕は愛さずにはいられないのです。
この監督はこの作品で「サイコ」のパロディやったり、「悪魔の沼」でもバスルームの1場面を見ると、相当に「サイコ」が好きなんだなと思います。