3.《ネタバレ》 1942年の冬、ナチス占領下のワルシャワで一人の女が惨殺される。捜査にあたったドイツ軍の少佐は、証人への尋問などから容疑者を三人のナチス将軍に絞り込むが、犯人を特定する前に、パリへと飛ばされてしまう。
それから二年後、ドイツ軍が占領したパリで、またもや娼婦が惨殺された。二年前に捜査を担当したオマー・シャリフ扮するドイツ軍少佐は、いっそう闘志を燃やし、連続殺人犯を追っていくが-----。
この物語の舞台は、ポーランド、フランス、ドイツと拡がり、時間的な流れも含めてスケールも大きく、それに伴って登場人物も実に多彩で、この忌まわしき時代の混沌が迫真性を持って描かれ、緊迫感に満ちている。
そして、この映画で描かれるのは、容疑者の将軍の一人であるタンツ将軍(ピーター・オトゥール)の異常ぶりを示す"恐怖の人間像"だ。
戦場にありながら、部下の手袋の染みさえ許さない、この男の世界観においては、隣国の人々もユダヤ人も娼婦もゴミでしかないのだ。そして、ゴミは一掃されるべきだと妄信している、サイコ的な恐ろしさ-----。
戦争は、そんな彼の異常性を解き放つ舞台になるのだ。将軍という地位を利用して、街という街を破壊し、敵を無残にも殺戮し、なおそれでも足りずに、深夜ひそかに女性を求め、惨殺していく。
このサディスト的なタンツ将軍が、パリのルーヴル美術館でゴッホの自画像と対峙するシーンは、まさに背筋も凍るほどの凄さだ。狂気にかられて自分の耳を削ぎ落とした直後のゴッホ像は、まるで彼の内面と共鳴しているかのようで、底知れぬ怖さが私の心を射抜いていく-----。
ピーター・オトゥールの舞台で鍛え抜かれた、鬼気迫る演技は、私の心をつかんで離しません。
そして、この映画の複合的で奇妙な面白さの要因になっているのは、この事件を追うドイツ軍少佐の異様なほどの執拗さだと思う。
彼は上官である将軍たちを少しも恐れず、是が非でも殺人罪で検挙したいとの一念に凝り固まっていて、戦況が自国であるドイツに不利になってきても、意に介さないどころか、国防軍によるヒトラー暗殺未遂事件が起こっても、全く関心を示そうとはしないのだ。
そこには、正義を追求するという以上の何かしら尋常ならざるもの、犯人の異常さとも通底する、ある種の不気味さが感じられるのだ。
このように、この映画は観る角度を変えることで色々な見方の出来る、そんなスリリングな作品でもあるのです。