13.《ネタバレ》 この映画「レベッカ」は、ハリウッドの大製作者デイヴィッド・O・セルズニックと契約したアルフレッド・ヒッチコックが、アメリカに渡って最初に手掛けた作品であり、1940年度の第13回アカデミー賞で、最優秀作品賞と最優秀撮影賞(白黒)を受賞して、アメリカ映画界へ華々しい登場となった作品でもあるのです。
イギリスの女流作家ダフネ・デュ・モーリアが1938年に書いたゴシック・ロマン小説の映画化で、女性が結婚して得る幸福の意味を追った小説ですね。
アルフレッド・ヒッチコック監督は、原作の持つ雰囲気描写を映像に置き替えながらも、内容の上ではヒロインの心理的不安、そして殊に、映画の後半に見られる謎解きと裁判のサスペンスに興味を移し替えてまとめあげていると思います。
この映画は一人称による原作の持ち味をそのまま使って進行しているため、ジョーン・フォンテーンが扮するヒロインの「私」で話が進むのも実にユニークですね。
金持ちの未亡人の秘書をしていたアメリカ娘のマリアンは、モンテカルロのホテルで、どこか翳のある金持ち貴族のマキシム・ド・ウィンター(ローレンス・オリヴィエ)と出会い、彼の二度目の妻としてイギリスの荘園マンダレイにやって来ます。
この映画のタイトルの「レベッカ」とは、今は亡き前妻の名前。
画面には一度も登場しないのですが、イギリスのコーンウォールの海岸に立つ由緒あるマンダレイ荘のあらゆるものに、美しかったというレベッカの痕跡が残っていて、その最たる存在が、レベッカの身の回りの世話をしていた召使いのダンバース夫人(ジュディス・アンダーソン)だった。
主人公の「私」は、決して心から打ち解けようとしない夫や、いつも自分を見張っているような黒づくめのダンバース夫人、そしてレベッカの痕跡などに小さな不安を抱きつつ、マンダレイの女主人としての務めを果たそうとするのですが、その一方、孤独で贅沢など知らずに生きてきた「私」にとって、ここでの生活は何から何まで新鮮で、夫への愛も揺るぎないものだった。
それにしても、この"ゴシック・ミステリー"は、描写のほとんどに"チラッとした不安"を誘う仕掛けが埋め込まれていて、観る側も、主人公の「私」と全く同じ条件に置かれているだけに、その一つひとつに落ち着かない気分にさせられてしまいます。
閉じられた部屋。窓をよぎる影。揺れる白いカーテン。レベッカの頭文字のRが浮き彫りになったアドレス帳。黒い犬。
そして、レベッカの呪縛に取り憑かれたような夫の不可解な振る舞い--------。
二階のフロアの壁に飾られている、夫がお気に入りだと言う、美しい女性の全身像の絵も何やらいわくありげだ。
そして、これらの妖しい雰囲気を醸し出すモノクロの映像がまた絶妙で神秘的なんですね。
そういえば、今やすっかり荒れ果てたマンダレイ荘の外門を、カメラがゆっくりとすり抜けて中へと入っていく冒頭のシーンからして、既に怪しい雰囲気でしたね。
そして、仮装パーティーを開くことにした「私」が、ダンバース夫人に勧められ、二階の絵の女性とそっくりのドレスで装い、夫に激怒される場面の身の置きどころの無さ--------。絵の女性はレベッカだったのだ。
映画の後半、ヨットで転覆死したというレベッカの死の真相が、二転三転するくだりも、実にスリリングだ。
「レベッカ」は、幾つもの謎や不安については確かにミステリアスだが、終わってみるとイギリスで玉の輿に乗ったアメリカ娘が、夫を絶対の愛で信じ続けるという、かなり通俗的なメロドラマになっていて、「私」というヒロインよりも、好き勝手に生きた"レベッカの真実"の方が、ずっとインパクトがあるのですが、ヒッチコック監督の巧みな語り口が、通俗性を絶妙にカモフラージュしているのだと思います。