1.《ネタバレ》 かつて原作読んだときは、怖い話として傑作だと思ったものの、後半で登場する「もう一人の女」がちょっとつまんなかった。家政婦一人で、はっきりとした悪意がないのに惨劇に至る話しのほうがいいのに、と思った。しかし本作を観たら、その「もう一人の女」がいいんだな。もちろんI・ユペールの俳優としての凄味もあるんだけど、「二人になることで起こってしまう」事件として納得できる。一人ずつだったら、不機嫌は彼女らのうちで留まっていただろうに、二人になって、じゃれあう女学生のような「場」が出来たことで、その不機嫌が解放されていってしまう。上機嫌なイザベルってあんまり観たことなかったけど、これが怖いんだ。前半はまるで「普通の人」みたいに登場し、でもやっぱり途中からI・ユペールでしかない役柄になっていく。彼女もハッキリとした「悪」というわけではなく、世の中とうまく合わない感じが、次第に凝り固まって終盤に雪崩れ込んでいく。S・ボネールのほうは、最初から世の中と合わない障害を持っており、それを隠そうとするのが前半のスリルで、ここまでは観客は彼女の側に立ち、ロウフィールド館の人たちの親切に一緒になって怯えるわけ。こういう設定を考えつく原作R・レンデルは、本当にねじくれた天才だ。まったく特異な状況だけど、彼女の怯えには普遍性が感じられる。文字の帝国となった世間に対する文盲の怯え、なんて普遍性があるとは思えないのに、誰もが心の底で世間に対して構えている怯えと通じ合うのか、「もう一人の女」が現われれば、簡単に惨劇に至るのを納得できてしまう。彼女にとっては「口封じ」の皆殺しだったわけだ。これが家の者たちの親切に対する回答である。前半で彼女に寄り添って見ていた観客は、こんな理不尽な話はないと頭の片隅で抗議するんだけど、それを越えて、実話の再現のような整合され切れないザラザラした現実感と、明晰な悪夢のような手触りが同時に残り続け、ヒッチコックよりブニュエル気分での観賞がおすすめ。