8.とても愛らしい映画だった。この映画が多くの映画ファンに愛されている理由がよく分かる。
タイムリープ能力を有した主人公のラブストーリーといえば、傑作「バタフライ・エフェクト」だったり、クリストファー・リーブの「ある日どこかで」だったり、今作同様レイチェル・マクアダムスがヒロインの「きみがぼくを見つけた日」など、古今東西多々あり、個人的に好きなジャンルでもある。
それらの多くは、主人公たちの悲恋の切なさや美しさを、練り込まれたストーリーテリングの中で描き出すが、今作はそういうジャンル性の中において一風変わっている。
“変わっている”というよりは、想定外に“どストレート”なストーリー展開が逆に特徴的に感じたのだと思う。
この手の映画の多くは、“タイムトラベル”とういアイデアをどう活かして、独創的なストーリーを紡ぎ出すかに注力するものだが、この映画において、“タイムトラベル”という要素は、一つの小道具に過ぎない。
ストーリーの妙ではなく、あくまでも主人公が織りなす恋愛模様、家族模様、それらすべてをひっくるめた人生模様の素晴らしさをストレートに、真っ当に描き出すことを最優先にしている。
そこに映画作品としての新しさや、特筆する発見はないけれど、てらうことなく、人を愛することの素晴らしさ、家族を持つことの素晴らしさを真っ直ぐに伝えてくれるからこそ、この映画はあまりに愛おしいのだと思える。
ふいにタイムリープ能力を得た主人公は、ひたすらに誰かを愛することに没頭し、文字通り時間を駆け巡る。
そして、人生と、それを司る「時間」という概念に対するひとつの真理にたどり着く。
それは、「綺麗事」などと片付けてしまうには、あまりに勿体ない僕たちの人生に備わっている「価値」だ。
秋深まる深夜、映画を観終え、清々しく床に就く。
思わず、すでに眠っている妻にキスをし、娘を抱きしめ、息子の頭を撫でてやりたくなる。
明日はみんなで、ごはんを食べよう。