1.《ネタバレ》 【レイダース・失われたアーク(聖櫃):1981年】が10/28(土)に地上波放送されたのを機に、同年、【レイダース~】と共に日本公開された映画ということで投稿します。
私が当作品を知ったのは、中学生のとき、ラジオ番組「夜のスクリーンミュージック」を通じてです。【現在公開中の作品の音楽】として、エンディング曲や愛のテーマが紹介され、進行役の関光夫さんが「久しぶりに映画音楽らしい音楽を聞いたと思ったのは私だけでしょうか」という趣旨の言葉を添えておられました。私は曲の印象から「格調高い純愛映画」と思い、映画雑誌で調べると…「刺殺シーンは生々しく、ベッドシーンもあり…」とわかり、中学生が映画館へ足を運ぶには時期尚早と判断して観るのは断念しました。
ようやく観られたのは、数年後、テレビ朝日の日曜洋画劇場で放送されたときです。その何か月か前に、マーカンド監督が49歳の若さで亡くなられたという記事を目にしていたので、追悼の意味もあるのかも…と思いました。実際に観ると、前半と後半の展開がガラリと変わる映画が好きな私は、すっかりはまりました。特に上記の経緯により、ミクロス・ローザのBGMが本領を発揮する後半に味わい深さを感じました。なお、BGMは、ラジオで聞いた曲よりもテンポが速めでサラサラッとしており違和感がありましたが、映画の雰囲気にはマッチしていたと思います。
*後年、サウンドトラック盤CD(輸入盤)を購入し、ラジオで聞いた曲は、レコード用に別録音したものだと確認しました。厚みのある聴きごたえのあるオーケストレーションで、まさに昔懐かしの映画音楽だと思いました。ただし当作品が公開されて30余年、若いレビュアーさん達にとっては【レイダース~】の音楽こそ懐かしいかもしれません。
さて、テレビ放送を観た後、ビデオレンタルなどで繰返し観るたびに(今回もレビューを書くために再見)、味わい深さが増しています。そして今回、皆さんのレビューを拝見して、自分は↓の【にじばぶ】さんのおっしゃる【人情劇】として当作品を観ていたんだな…とあらためて気づかされました。私は【ストーム島でのフェイバーとルーシーの会話】をもとに、二人の心情を推察しながら観ているのですが、それを【人情劇】のあらすじのように記載すると、以下のようになるかな…と思います。
「自分の果たせなかった夢を押し付ける親に育てられ、愛の無い孤独な子供時代を送ったドイツ人のヘンリー・フェイバーは、第二次大戦下、スパイとして敵地イギリスでも孤独な戦いに身を投じていた。家主である非戦闘員のご婦人でさえ、自分の素性を知って興奮し説得が困難とわかるや、任務遂行のためとはいえ、刺殺せざるを得ない非情な世界。身近に団結する仲間もいない孤立した感情…。そんな中、ストーム島で出会ったルーシーが、幼い息子・ジョーに無償の愛を注ぐ様子を見て、フェイバーは自分が求めていた親子愛を見出したのかもしれない。そして『耐えてきた数年間が無駄と思いたくないから頑張る』というルーシーの健気な話を聞き、親子愛への羨望は彼女への愛おしさへと変わり…漂着直後で身も心も弱っていたことも相俟って、抑えていた感情が一気に沸き上がった。その後、正体がばれても、ルーシーとジョーには『自分が生きられなかった愛のある人生を送ってほしい』と願い、殺せなかった。一方、ルーシーは、途中から自分の夫を殺めたと知って恐怖を感じたし、スパイということで見逃すわけにもいかず、思わず銃を手にフェイバーの後を追ったが…フェイバーの右足を撃ち抜いて我に返り、自分を愛おしんでくれた彼に、できれば足を止めてほしいと切望しながら、泣く泣く引き金を引くのだった」
…と、まあ、こんな感じでしょうか。これは私の一解釈にすぎませんが、前半と後半の違いを整合するのに役立っています。
一方、不満もあります。①ストーリー上、仕方ないのかもしれませんが、冒頭で登場した若者ビリーが、前半で退場してしまうのが物足り無いです。②ジョーとお風呂場で遊ぶ場面や、ラブシーンで、ルーシーの胸をあからさまに映す演出をしなくてもいいのでは?と思います。興行上の都合による客寄せのためでしょうか?この演出で客層を狭めてしまっていると思います。
さて、採点ですが…上記の二つの不満に対して各1点を減じ8点とさせていただきますが…他のレビュアーさん達もおっしゃっている通り派手さはないものの、堅実な作風のイギリス映画らしい力作だと思います。そして、今は亡きリチャード・マーカンド監督の代表作だとも思っています。マーカンド監督を【スターウォーズ・ジェダイの帰還:1983年】でしか知らない方々には、できれば観てもらえたらな…と思います。【人情劇】として…