3.《ネタバレ》 ただのスプラッタものではなく、飛び散る鮮血にはちゃんと意味があるということをひしひしと感じた。戦争が日本人に残した痛み、子供や夫、母などの肉親を失う痛み。それらは、凶器で突かれて肉体が現実に感じる痛みと呼応して、より深い狂気の色に染まって見える。
また、月のものが来るたび母に洗脳されるおぞましさや、自分の正体を知った上で殺される男の愛など、なかなか深いものがあった。もし男が業病にかかっていなくてもマヤは母の声に従って彼を殺しただろうが、激しい濡れ場シーンもなく静かにその手首を切る演出は、マヤの未成熟で不器用な性を強調していて、いっそう哀れを呼ぶ。
視聴が進むうち、画面に現れる赤い色は、すべて女の子宮から流れる血のように思えてきた。流血ざたも、人形の赤い着物も、小さなマヤの晴れ着も、何もかもが狂気のように赤い。ラストのマヤの動きは、飾られた人形のようにぎこちない。まるで壊れた操り人形のように、かくかくと、行きつ戻りつしてそのうち畳に伏せて動かなくなってしまう。私には岩下さんの演技がオーバーアクションには見えない。彼女はまさに人形になりきっていたからだ。命令を仕込まれた「仕掛け人形」だったのだから、指令を失った人形は迷走して力尽きるのは当然だ。成熟した一人の女性として描かれたマヤであったなら、あの不自然な動きはいかにも大げさにすぎるが、あの演技があるからこそ、この作品のラストは、厄介な情念が絡まりあった重たい人形浄瑠璃の幕が、やっと下りたような安堵をもたらすのだと思う。