1.《ネタバレ》 この映画を観て、何よりも印象強く残ったものは、「音声」だった。
米国史上最悪の汚名を持つ元大統領と野心溢れるテレビ司会者。二人の男の織りなす会話が、高級ステレオから流れるジャズのように響いてくる。
リチャード・ニクソンという米国大統領についても、彼の転落の発端となったウォーターゲート事件についても、もちろんデビット・フロストという英国人のテレビ司会者のことも、ほとんど詳細を知らない。
キーワードとしての部分的な知識しか無かったので、イメージとして、汚職にまみれた元大統領を、野心家のインタビュアーが最終的に言い負かすというような映画なのだろうと思っていた。
が、実際はそうではなかった。
米国史上初の任期中での退任を余儀なくされ、ホワイトハウスを去りゆくニクソンの一寸の“表情”に瞬間的に惹き付けられ、インタビューを申し込むテレビ司会者。バラエティー番組専門の彼にとって、それはあまりに盲目的な挑戦であったと思う。
センセーショナルなインタビューを通じて、片方は政界への復帰を目論み、片方は名声の得ようと画策する。それはもちろん正直な両者の思惑だったのだろうが、それと同時に二人の男に生じていたものは、現実に対する自身への葛藤と、それを打ち砕くための好敵手の発見だったのではないか。
己の人生に対する自信と失望。「今」から脱却し、次のステージへ進むためには、人生そのものを壊してしまうくらいに強力な起爆剤が必要。
年齢も立場も何もかもが違う二人が、奇しくも同じ思いを互いに感じたのだろうと思う。
結果として、勝利はフロストへもたらされ、ニクソンの思惑は完全に閉ざされる。
しかし、この映画が描いたのは、その勝利にまつわる痛快感などではなく、敗北者であるリチャード・ニクソンという希代の米国大統領の本質的な姿だった。
感情を吐露し、人生を憂う姿に、人間として尽きない興味深さを感じた。