2.秩序が崩壊した状態=カオスを覗き込む「外部」は、それをどのように受け止めたらいいのかと。
答えはタイトルどおりに「プレシャス」なのであり、崩壊した秩序をオーガナイズしようとしたり、カオスの中に居る人を批難したり、罪を裁いたり、見ないふりをすることではないと。
個人をそのまま肯定し、大切にするということしか、答えはないのだと。
なんかそんなような映画なのかなあと思った。
…それはなんとなく、そういうことを言っているのだろうとは思うけれども、私にとってこの作品がキツいというのは、このような理念を受け入れるにはたぶん宗教的基盤が必要なのだろうが私にはそれが欠けていて、だからどうしても「秩序の再構築」とか「カオスの評価」をしたくなってしまうわけなのでそれが、俗人であるゆえんなのだろうと思う。
そういう意味では「宗教」というのはやはり「便利な発明品」であったのだなあと、いうふうに思ったりする。「便利すぎる」ともいえる。
「あなたはまごうことなきカオスを前にして、どのように対処できますか」「あなたにはどのくらい〝人間力〟がありますか」ということを問うている映画なのであろうし、また、カオスの内部の人に対しては「被害者として生きることが答えなのではない」というふうにも、言っているのだろう。
本物のカオスの中に居る人に対しては、「外部」はその個人を受け止めて肯定し、尊重するしかないのだと。いった場合には、宗教ほど便利なものはなく、それを発明した人は天才。というのが感想ですね。