1.《ネタバレ》 冒頭からジャッキー・チュン、サイモン・ヤム、エリック・ツァン、レオン・カーフェイと、チョウ・ユンファの映画で顔なじみになった俳優たちが、渋くなって出てきて、30年の時の流れを感じた。
これは、辛亥革命の足がかりとなった孫文の密談を成功させるために死んでいった者たちを描く映画だ。それぞれの「大義」は様々で、孫文と志を同じくするのは新聞社の社長(レオン・カーフェイ)と商人の息子(ワン・ポーチエ)ぐらいだが、みんな全力で戦って死んでいった。一人が倒れるたびに字幕で名前・出身・生没年が示されると、演出に乗せられていると思いながらも、涙が止めどなく流れて、どうしようもない。孫文を守って倒れた者の死を「犬死」とは誰にも言わせない、という迫力を感じる。今の中国があるのは、毛沢東より先に孫文がいたからで、その孫文を守って死んだ彼らは、全中国人からその死を悼まれる権利があるのだ。
しかし、清朝を打倒することとと40歳で授かった跡取り息子を失うことと、どちらが重いか? 本当は、他人には、決められないことだ。息子自身は自分の役割に満足して死んだとしても、父(ワン・シュエチー)の無念さは思いやって余りある。
そして、これらの痛みの上に新国家が誕生した。辛亥革命から百年経った今、「革命」は「すでに成った」のか? 敗戦後の日本に通じ、さらには国家というものへの根本に通じる問いが、ここに生まれる。