3.新しいスパイダーマン=MCU+学園モノ!
今作は、アベンジャーズの世界観に降り立った“15歳”の“新スパイディ”の立ち位置を、絶妙なバランス感覚で成立させている。
三度リブートされた新スパイディは、過去2シリーズのどのスパイディよりも若く、故に最も未成熟だ。
「ハイティーン」と言うよりも、きっぱりと「子供」と言ってしまっていいだろう。
だからこそ、軽快で、楽しい。
アイアンマンとキャプテンによる悲壮な“殴り合い”の裏側で、一人の少年が喜々として“見習いヒーロー”としての活躍を繰り広げていく様は、問答無用に楽しく、マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)のストーリーラインの「本流」対して、一服の清涼剤ともなる魅力的な「支流」を見事に生み出してみせたと言える。
この映画は、愉快な学園コメディであり、二つの疑似父子の関係性を通じて成長する少年の青春映画でもある。
父親がいない15歳のピーター・パーカー(スパイダーマン)にとって、全く相反する二人の大人、トニー・スターク(アイアンマン)とエイドリアン・トゥームス(バルチャー)の存在は、それぞれ異なる「父像」の投影だと言えるだろう。
それぞれの「父」と対峙し、反発し、学ぶことで、少年は大人への階段を一つ上がる。
最後の最後で傲慢な大人たちの思惑を超えて、小憎らしいくらいに「成長」して歩んでいく若きヒーローの姿がとても小気味いい。
個人的には、2000年代以降の2つのスパイダーマンシリーズ(サム・ライミ版&マーク・ウェブ版)には、それぞれ愛着を持っていた。
特にマーク・ウェブ版の第二弾「アメイジング・スパイダーマン2」は、ヒーロー映画としてはあまりに衝撃的なラストの顛末も含めて、アメコミヒーロー映画の一つの“エポックメイキング”とも言える傑作だと思っている。
興行成績が振るわなかったことで、「アメイジング〜」の第三弾の製作が頓挫したことは非常に残念だった。
故に、今回の再リブートについては、いくら待望の“スパイディMCU参戦”とはいえ、素直には喜べない部分も大きかった。
ただし、結果的には「流石はマーベル」と賞賛しないわけにはいかない仕上がりだったと思う。
アベンジャーズシリーズ全体の流れを踏まえた上で、“年代”や“社会的地位”といったカテゴリの相違によって生じる多角的な「価値観」と「主張」を物語構築の主軸に据えて描き出すことで、シリーズの世界観を更に多層的に深めてみせたと思う。
そして、燦然たるヒーロー映画であると同時に、学園映画としても、少年青春映画としても、純粋に魅力的な映画であった。
さあいよいよ「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」への助走も加速し始めている。
“戦友”との決別に傷つき、打ちひしがれていた“大人=アイアンマン”にとっても、本物のヒーローとして成長していく“子供=スパイダーマン”の姿は、ヒーローという生き方の本質を思い起こさせる“救い”となった筈だ。
そういうシリーズの流れの導き方も、悔しいくらいに巧い。
最後に、一つだけ。
付き合いはじめの彼女の父親と突如として狭い車内で二人っきりにされては、“彼ら”のような特別な関係性ではなくとも、ああいう空気になるさね……。