2.極めて壮大で、美しく、そして同時に「未完成」な映画作品だと思った。
それは決してこの作品そのものの完成度が“低い”ということではなく、この新たなヒーロー映画を通じて表現し伝えようとした「テーマ」そのものが、この現実世界において未成熟であることの表れではないかと思った。
そして、この世界は常にそういう“不完全な美しさ”の中に存在し続けるものなのではないかとも思えた。
実は7000年前から地球人を見守っていたという“守護者たち”が主人公のこの映画は、これまでのアメコミヒーロー映画の系譜の中でも極めて異質で、“フェーズ4”に突入した“マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)”の大河の中においても「特異点」となり得る作品だと思う。
異なったあらゆる「性質」を持つヒーローたちが戦い、惑い、運命を体現するこの映画のテーマはまさしく「多様性」。
神か、天使か、それとも悪魔か、いずれにしても存在性そのものが神秘的でファンタジックなヒーローたちではあるが、彼らがそれぞれのキャラクター性を通じて表現していたものは、この星に巣食う「人間」の葛藤と苦悩そのものであり、あまりにも普遍的なものだった。
能力、性格、身体的特徴、得手、不得手、様々な要素が異なる彼らは、不完全で、時に脆い。
ただし、だからこそ、“エターナルズ”として「結束」した時に生み出された力は強固で果てしない。
それは、今まさにこの現実世界で声高に求められ、命題となっている我々のテーマ性と合致する。
だが、その現実世界で命題となっている「多様性」そのものが、まだまだ曖昧で、あるべき世界、たどり着くべき価値観が定まっていないから、その表現方法自体が、ある側面において表面的で類型的になってしまっていることも否めない。
「多様性」を謳う映画であるが故に、そこで表現されるテーマに強烈な違和感や希薄さを覚える人も少なくないだろう。
ただ、未熟で不完全であるからこそ、この新しく難しいテーマをマーベルのヒーロー映画の中で表現しようとした試みそのものは、正しくて、意義深い。
そしてその監督に「ノマドランド」で非白人女性として初めてアカデミー監督賞を受賞したクロエ・ジャオを起用し(オファーはアカデミー賞受賞前)、そのクリエイターとしての資質を存分に発揮させてみせたマーベルの先見性と懐の深さには、あいも変わらず感心する。
テーマ性に相応しい多彩なキャスティングも印象的だった。
年齢や人種、国籍を超えた多様なキャスト陣は、それぞれのキャラクター像を見事に表現し、あたかも「家族」のようなチーム感をこの一作のみで構築して見せていた。
個人的に特に印象的だったのは、文字通り神々しくてそれ故に危なっかしいアンジェリーナ・ジョリー演じる最強戦士“セナ”。
アンジーのMCU初参戦そのものが映画ファンとしては熱いが、最強故に精神を乱していく様は、彼女自身が女優としての地位を確立した1999年のアカデミー助演女優賞作「17歳のカルテ」を彷彿とさせ感慨深かった。(更に、マ・ドンソクとの最強カップルは近年随一のペアリングだった!)
はてさて、MCUが広げる“大風呂敷”は、いよいよ際限がなくなってきたようだ。
原作である数多のアメコミ作品のクロスオーバーの範疇を超えて、現実社会、さらにはこの先の未来世界にまでその視野を広げようとしているようにすら感じる。
量産されるドラマシリーズも含めてすべてを追いきれなくなっていることは、MCUファンとして焦るところだが、決して世界観が破綻しないであろうことに対するMCUへの信頼は揺るがない。
“完璧ではないもの”に対する寛容と、その多様性を愛することの価値。
この「未完成」な映画を新たな特異点として、この「宇宙(ユニバース)」は広がり続ける。