2.《ネタバレ》 私にとって当作品と出会いは、公開前に夕刊に大きく掲載された広告です。正確な文面は忘れましたが【ラストが売り】と強調していました。怖い映画が苦手な少年だった私は、劇場に足を運ばず…その後、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、毎年のようにTV放映されたので、恐々とチャンネルを切替えながら、何回か、というより何年か(笑)に分けて鑑賞。ラストは、私が想像していた血みどろで暴力的な場面ではなく「なるほど…」と冷静に受けとめることが出来ましたが、その後、ジワ~と響いてきて…確かに強烈な場面として心に残りました。
それだけに、皆さんのレビューの拝読を機に、別途、調べてみて「ラストは、日本公開のバッドエンド版とアメリカ公開のハッピーエンド版の2種類あり、DVDにはアメリカ公開版しか収録されていない」と知り、衝撃を受けました。「あのラストあっての作品でしょうよ!ハッピーなんて全てをぶち壊す改悪であって、ある意味バッドエンドじゃないの?この目で確かめねば…」と勢いづき、レンタル店でDVDを取り寄せ、鑑賞した次第です。さて、結果は…
まず、全体の印象について。もともと少年時代に感じていて今回の再見であらためて思ったのは「異形のクリーチャーが登場するので、一応は“恐怖・ホラー映画”なのだろうけど…むしろ、当時のSF映画で主流だった“警告もの”に該当する作品では…」ということです。↓の【アンドレ・タカシさん】がおっしゃっている【警鐘を鳴らしている映画】とほぼ同じ意味合いかな…と思われます。
年配のレビュアーさん達ならご存知と思いますが、スターウォーズ(1977年)の公開以前の1960年代後半から70年代のSF映画は、猿の惑星(1968年)やウエストワールド(1973年)のように『科学の進歩は、一歩、間違えば、このような恐ろしい状況を招きかねない』といったメッセージ性のある“警告もの”が主流でした。当作品に随所に見られる【不安を醸し出す演出】は、それらの作品群に通ずるものであって【ドキッと悲鳴をあげそうになる恐怖・ホラー映画の演出】とは、質が異なる印象を受けたのです。
また、バート・ランカスターさん演じるモロ―博士も、怪奇じみた不気味な人物ではなく、知的で落着いた人物として登場します。研究の目的は「遺伝子を人間が操作する…その利点を考えたまえ。病から解放され…その可能性は無限だ」と、字面(字幕)だけを見ると、他の科学者の方々でも言いそうな内容です。それだけに、倫理を度外視して知的好奇心を最優先する展開の“普通でなさ”が際立ち、これは【SF的な怖さ】だと感じました。そして、博士が好奇心(実験)を優先するあまり、"彼ら"に課していた掟を自ら破ってしまい、自滅する結末には【一歩、間違えた科学が辿る末路】としての説得力を感じました。
今回の再見を機に調べてみると、1970年代は【生命倫理学】が提唱され話題になっていたと知りました。H.G.ウェルズが原作小説を発表した19世紀末とは違った意味で、当作品の製作はタイムリーだったのかもしれません。【真摯なメッセージ性のある作品】と判断したからこそ、バート・ランカスターさんも出演されたのでは…と思ったりもしました。
次に、猛獣と“彼ら”とのアクションについて。他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、素晴らしいですね。少年時代の感想は「皆、死んでしまった…掟を語っていたリーダーも…」という悲しみが主でしたが、今回の再見では「CGが無い中、ドン・テイラー監督を始めとする作り手の皆さんの、入念な打合せとチームワークがあればこそ成功したシーンでは!」と感じ入りました。
最後に、ラストについて。主人公・アンドリューは喜んでいるものの、ヒロイン・マリアの表情は明るくなかったので【ぶち壊し】というほどの印象は受けませんでした。
むしろ、マリアの目や口は腫れぼったいような異様な様相で…ひょっとすると 【アンドリューは元に戻ったが、実はマリアも“元”に戻り始めている暗示】と言えなくもありません。だとしたら「ハッピーエンド版も作れ」という上役の指示に対する、ドン・テイラー監督なりの『本当はバッドなんだ。誰か気づいてくれ』という抵抗だった…のかもしれません。
いずれにせよ、バッドエンド版の復刻を願ってやみません。
さて、採点ですが…現在では“彼ら”の特殊メイクが、ヴィジュアル的にネックになってしまうようですが、それさえ割りきれば【生命科学における倫理/苦痛や罰だけで押さえつける秩序の危うさ】という、いまだに今日的な問題を投げかける作品だと思います。バッドエンド版を念頭に、当サイトの採点基準である【見た後、率直に面白かったぁ…って言える作品】として8点を献上します。