2.《ネタバレ》 ナレーション一を切排除し、当時の写真、映像資料を交えてインタビューをつなぐ。シンプルだが力強い。映像の中には貴重なものが含まれていて、資料的価値は高い。
被爆体験は思い出したくもなく、当然語るのは苦痛だが、被爆を知らない人達に真実を知ってもらいたい、反戦を伝えたい、原爆の被害者は自分で最後にしてもらい、また死者は語ることができないのなら、その分まで生き残った者が語るしかないではないか、という様々な思いが、彼らにカメラの前で証言するという選択をさせた。
努めて淡々と語っているが、被爆者達の証言は重く、鬼気迫るものがある。
被爆者であると告白しても何一つ善いことはなく、差別や偏見としてはね返ってくるだけだ。
原爆で即死した者よりも、生き残って「被爆者」として生きてゆく者の方がずっと苦しい。
醜い姿を人前にさらすのは毛頭嫌だが、醜い姿をさらすことにより、被爆者の現実を知ってもらい、戦争の悲惨さが伝わるなら、あえてそれをやる。そんな証言者の思いが切々と伝わってくる。
内容は重く、決して容易に人に語れるようなものではない。それは何十年もの苦悩と悲しみの果てに、ようやく絞り出されるように吐き出されてきたものだ。
例えば中沢啓治氏。爆風で潰れた家の下敷きとなった父と姉と弟が目の前で生きながら炎に焼かれていくのを見た。そんな体験は誰にも話したくはないだろう。思い出したくもないだろう。思い出すたびに、怒り、憎しみ、悲しみ、罪悪感等の感情がないまぜになって、氏をどれほど苦悶、懊悩させたのは想像すらできない。その体験を「はだしのゲン」という作品に昇華させた氏の強靭な精神力には頭が下がる。彼らの証言は、原爆の悲惨さを伝えるだけではなく、人生に絶望した人間が、生きる希望を見いだして再生してゆく物語でもある。彼等が絶望の果てに見出した希望にこそ人類の未来がある。そう思いたい。
記憶は歳月と共に薄れていくものだ。冒頭のインタビューにあるように、8月6日が何の日か知らない日本人も増えていくだろう。しかし日本が唯一の被爆国である以上、被爆の真実と悲惨さを世界に知らせていく義務があるだろう。そのようなことを思わせる一編だった。